from 2002/9/23 カウント

犬猫「里親」掲示板 過去ログ

「里親と養親のおしゃべり掲示板」で話し合われた犬猫「里親」に関するログを移動致しました。
一人一人の発言者に了解を取るべきところですが、どうぞお許し下さい。

[824] とほほ・・・ 投稿者:manami 投稿日:2001/09/05(Wed) 09:37:55

ごぶさたしております。manamiです。

今朝、新聞と一緒に入ってた区報の一面にどーんと「公園の里親募集中」って書いてあるのを見て、朝からくらくらしてしまいました。
あぁ、けっこう開けていると思っていたのに、新宿区。

わたしもこのサイトを見るまで気づかなかったことですが、やっぱりいやな思いをする人が存在する以上(特に子どもたち)、「里親」表現はやめていってほしいですよね。
悪気がなければいいという話ではなく。
→必ずこう言う人はいますけど、どんなマイノリティに対しても「そう言われることがいやだ」という人たちがいるならばやめるべきだと私はいつも思っています。

気づかなかったことはしょうがないとして、すぐに訂正するかどうかが気になるところです。
あとでデンワして教えてあげようっと。(抗議ともいう;)

[824へのレス] Re: とほほ・・・ 投稿者:まにまに   z 投稿日:2001/09/05(Wed) 11:37:31

こんにちわ。
早速、区のHPから見せていただきました。

http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/koho/20010905/p1.pdf

都内にもまだまだ沢山あります。
都道府県政令市において、里親用語の借用をしていないところは、現状十数個所のみとなっています。

[808] 「里親」の誤使用 投稿者:島めぐり 投稿日:2001/08/15(Wed) 15:12:33
 昨日見たテレビのドラマの中で、獣医さん(ドラマの中の獣医です。)が、「犬の里親」と使っていました。

 難しい問題ですね。私はあまり好きではないのですが、新しい言葉をつくった方がよいのでしょうか?
 私もここにおじゃまする前には、犬猫の場合も平気で、里親という言葉を使っていました。

[734] ニュース 投稿者:sido 投稿日:2001/05/13(Sun) 15:32:01

2001/05/08
HPで犬の里親探し 宮崎県、処分数減少狙い
共同通信ニュース速報

 飼い主の都合で飼えなくなった犬を集める「不要犬ポスト」を昨年三月末で廃止した宮崎県は、犬の里親探しのためのホームページ(HP)を来年三月までに新たに開設する。
 処分される犬を少しでも減らそうというのが目的で、同県衛生管理課は「インターネットの里親探し制度は都道府県では高知県に次いで二例目だと思う」としている。
 同課によると、犬を譲りたい人が、犬の種類や特徴、連絡先を入力すると、HPに連絡先以外の情報が表示される。里親になりたい人はHPで希望する犬を見つけた場合、県内八カ所にある保健所に連絡、保健所が実験や営利目的でないことを確認した上で、犬の所有者の連絡先を教える。
 各保健所には専用パソコンを置きパソコンがない人も利用できるようにする。
 一九九九年度に県が引き取った犬は三千三百六十四匹で、うち約二千九百匹が処分された。
 同課の壱岐和彦主任技師は「効率的に里親を探し処分される犬の数を少しでも減らしたい」としている。
 不要犬ポストは県内三カ所に設置、夜間も受け付けていたが、「犬を物のように扱っている」などの批判や苦情が動物愛護団体などから相次いでいた。(了)

[734へのレス] 県政への提言に書き込みしました 投稿者:sido 投稿日:2001/05/13(Sun) 15:41:09

人間以外のものに、「里親」という名称を使わないようお願いしました。

県政への提言
http://www.pref.miyazaki.jp/teigen/index.htm

[734へのレス] 宮崎県HP 投稿者:sido 投稿日:2001/05/13(Sun) 15:43:51

をみたら、一応、「里親制度について」というHPがありました・・・。
http://www.pref.miyazaki.jp/fukushi/jidou/kyosatoo.htm

[734へのレス] Re: ニュース 投稿者:まにまに  z 投稿日:2001/05/14(Mon) 10:12:37

地方自治体など公共団体のホームページにおける「里親・養子・里子」などの法外借用は、急速に増加している。
この五月一日現在、Goo infoseek Biglove Yahoo などの検索によると、約150件ほど引っかかってくる。因みに未だ該当の発見できない都道府県市を拾ってみると、岩手県、山形県、群馬県、富山県、奈良県、和歌山県、佐賀県、熊本県、沖縄県、千葉市、川崎市、名古屋市、京都市、大阪市14都県市である。  59地方自治体のうち76%の地方自治体が何らかの形で「里親・養子・里子」の用語を里親制度以外に借用している。
その内容は、環境保全、観光、動物愛護、老人福祉、など多岐にわたる。特徴としては、sidoさんが↑に紹介した保健所の処分動物の新飼い主探しや河川、道路、公園の清掃美化が一般化し急増している。東京都三宅島噴火災害救援本部における「三宅島避難動物の一時里親募集」はタイムリーなものであろう。
変わった使用方法としては、東京都練馬区の「障害者の訪問里親」や長野県上田市の「不用品の里親」(リサイクル運動ではなかろうか?)などがある。
ペーパーにリストアップしたので、ご要望の方はご連絡されたい。
 メールアドレス iyoniyakonai1428571@hotmail.com

[715] ☆★☆里親募集☆★☆プードル 投稿者:まちゃ 投稿日:2001/04/15(Sun) 17:25:10

詳細はこちらです。http://www.hoops.livedoor.com/~risakiti/

http://www.hoops.livedoor.com/~risakiti/


[715へのレス] 嫌がらせでしょうか? 投稿者:sido 投稿日:2001/04/15(Sun) 22:49:28

まちゃさん、こんにちは。
当HPは、「人間」の里親に関する情報提供のHPです。
犬猫に対して、「里親」という言葉を使うことに対し、抗議しているHPでもあります。「STOP!犬猫「里親」

当HPの趣旨をあざ笑うかのごとき書き込みは、どのようなお考えなのでしょうか?
24時間以内にご自分で削除しない場合は、管理者権限で削除いたします。

[715へのレス] 抗議中ですので、削除は待ちます 投稿者:sido 投稿日:2001/04/17(Tue) 02:43:42

ご本人に抗議のメールを出し、その返事待ちでので、削除は待ちます。

[682] わかりました(^^) 投稿者:kamonegi_fever   投稿日:2001/03/04(Sun) 16:18:02

下に下がったスレッドを上げるのが申し訳ないので、新たに書いてしまいますがすいません。
シドさんのお考えは理解も納得もできました(^^)
シドさんにはご迷惑をおかけしてしまいましたが、
私はお話を聞けてよかったと思っています。
ありがとうございました。
そうですね、この話を広めるのにサイトのリンクは必要ありませんものね。
また、嫌がっておられる方がいらっしゃるから考えてみませんか、という問いかけも失礼な話だったと目が覚めました。
私自身が疑問に思い、問い掛けねばならないことでした。。。
ごめんなさい。

また、命が平等であるかないかは、いろいろな考え方があります。
シドさんは動物を蔑んでいて言っているわけではないと明記してくださいましたし、
その「動植物を食べながら、命は平等だと、自分をごまかしたくない」という姿勢はもっともなことであり、含めて理解・納得できました。

取引をするつもりではありませんでしたが、つまるところそうなってしまったことにお詫びいたします。。。
お返事くださいましてありがとうございました。

[682へのレス] なんだかんだとしつこくてごめんなさい 投稿者:kamonegi_fever   投稿日:2001/03/04(Sun) 16:28:50

「動植物を食べながら、命は平等だと、自分をごまかしたくない」という前後の部分、コピペででも「動物に対しての里親という表現」のページに、載せてみてはいかがでしょう?
受け取り方がだいぶ違ってくるように思います(^^)
大きなお世話でしたらごめんなさい。。。

[682へのレス] Re: わかりました(^^) 投稿者:sido 投稿日:2001/03/04(Sun) 22:28:00

ええ、判ったといいながら、納得されていない印象を受けますね。

[678] はじめまして 投稿者:kamonegi_fever   投稿日:2001/03/01(Thu) 23:51:47

下の、ななさんから始まるスレッドの話を読みまして、少し書かせてください。

ななさんの話にすごい感銘を受けました。
そうしてセロリさんのお話にも。

そこで私が考えたことをここに書かせてください。
スレッドを別にしてしまったこと、お許しください。

私は特別、動物愛護活動をしているわけではありませんが、
そのようなサイトを読み、時には参加もしています。
私が考えていることはほとんど、ななさん、セロリさんが述べてくださっておられますので、繰り返し述べることはやめます。

セロリさんが後半で書かれておられる「(ペットの)里親募集HPなどに紹介」は、私もしたいと考えています。 というか、すでに始める手はずはあるサイトを介して整った と思っています。
その方法ですが、やはりこのサイトをそのまま紹介はできないのが正直な所です。
そこで、シドさんの動物に対するコメントには触れず、「里親という表現が当事者に、どのような感情を抱かせるか考えて欲しい」ということだけをメインにした場を、あるサイトに協力を頂いて設置させていただきました。
このサイトのリンクはしていません。 できません。
重要な問題の視点がずれてしまうような気がしましたので・・・

セロリさんにお願いします。
できることなら上記のようにして、紹介を進めていくことはできませんでしょうか。

シドさんにお願いします。
下でセロリさんがおっしゃっておられることにご一考をお願いできませんでしょうか。
私も、不用意に子供たちなどを傷つけたくはありません・・・
ペットなどに対しての里親表現を改めるよう、他の場にも話は広げたいのです。

[678へのレス] Re: はじめまして 投稿者:セロリ 投稿日:2001/03/02(Fri) 18:13:15

kamonegi_feverさん、この場を借りてしまって申し訳ありませんが、
そのサイトのURLを教えて頂けないでしょうか。
メールアドレスを載せておきましたので、お暇な時によろしく
お願いします。

他の掲示板などでも、この問題を話し合ったのですが、色んな考え
方がありますね。
でも、お互いを尊重したり、思いやりを持ったりすることを
忘れないようにしていきたいですね。
何度も失礼しました。

[678へのレス] 取引は止めてください 投稿者:シド 投稿日:2001/03/04(Sun) 01:32:21

kamonegi_fever さん、
セロリさんのレスにも書きましたが、このHPの姿勢を変える気はありません。
もし、犬猫「里親」に異議申し立てするHPを作るのであれば、ご自分の責任で行ってください。当HPに遠慮することはありませんし、当然リンクもしなくて結構です。私は、自己責任においてサイトを立ち上げています。もちろん、批判もまた、ご自由に行ってくださって結構です。

[675] 捨て猫も捨て子も捨てたのは・・・ 投稿者:なな 投稿日:2001/02/25(Sun) 21:49:58

こんにちわ、はじめて掲示板にメッセージを載せます。
私は捨て子です、養護施設で育った人間です。
里親は見つからなかったと言うより、私のいた養護施設では
あまりそういう活動をしていなかった気がします。
先ほど動物に里親という言葉を使って欲しくないというものを
読みました。
人間は動物とは違う、一緒にするな・・・・。
これはある意味悲しい事です。
私達親の無い人間は、「要らない」という言葉を嫌います。
必要ない、一緒にしないで、これらの差別を嫌います。
人間と動物を一緒にしないで、と言いますが、
どちらも捨てたのは人間ではないですか?。
親になってくれる方を探している以上、里親と言っても
良いと思います、逆に人間以外に使うな、とか
差別を誘うような事を言わないで欲しい。
社会に出たら私達にはとてつもない差別が待っています、
これはどんなに防ごうとしても、やはり存在するのです。
それを判ってくれるはずの人達が、差別をしていいのでしょうか?
私は今、動物愛護の方から猫を引取り飼っています、
家族のいない私には、唯一心の許せる家族であり、
初めて出来た家族でもあります。
動物も人間も同じ命を持つ者です、
そして人間に捨てられ心傷ついた者です、
たかが「里親」って言葉で「一緒にするな」とか、
「人間とは違うんだ」とか言っているのを聞くと、
逆に悲しくなります。
簡単にそんな事が言える人は、いつかきっと子供にも
同じような差別が出来るものです。
動物は人間以下だと考える人間は、簡単に猫を捨てる。
そして子供が人間以下だと感じればきっと簡単に
捨てるでしょう。
命の重さを感じない人間は簡単に差別が出来るんです。
だからそういう差別はやめてほしい。
「里親を探して幸せになって欲しい」と願っている人の
心はみな同じであって欲しい。
やさしさは同じであって欲しい。
命の重さは平等であるという事を判ってほしい。

[675へのレス] ななさんへ 投稿者:じょじょ 投稿日:2001/02/25(Sun) 22:34:48

こんばんは、はじめまして。
私は養護施設や里子には直接つながりはありませんが、このHPが気になっていつも立ち寄っているものです。

ななこさんの>命の重さは平等であるという事を判ってほしい。
という言葉、重く受け取りました。

動物と人間にどんな差があるのか?
本当の所は私もわからないです。
人間だけが特別なんて決して考えはしません。

このHPの管理人さんがこだわっていることは、どこでしょうね?
管理人さんも「動物は人間より下のいのち」と思ってはいないでしょうが。

私が見る限り、このHPへいらっしゃる方々は、「養子をもらった」とか「ひきとる」という表現を避けようとしています。

うまく話せないです。ごめんなさいね。
今日、こちらは夕方に冷たい雨がふりました。
ななさんが住んでいらっしゃるところは寒くないですか?
風邪などひかないよう気を付けてくださいね。

[675へのレス] Re: 捨て猫も捨て子も捨てたのは・・・ 投稿者:キゼー 投稿日:2001/02/26(Mon) 00:17:13

命の重さは平等と言われて、返事に困ってしまいました。
何故って、刺し身が大好きだし、とんかつがうまいと言って、食っているし、
返す言葉がない...。
ただ、人類だって動物の一つ、地球創世紀から弱肉強食の時代を生きてきた。
優しさも大切だが、”たくましさ” も又大切なように思います。
昔、アフリカの田舎で 小さな 診療所に一人の母親が赤ん坊を抱いて来た。
数分後に、母親は当たり構わず、大声で泣き出した。
赤ん坊はマラリヤで、死んでしまったのだ。
涙をポロポロ流して、母親は泣きじゃくっていた。
いっときして、母親は何キロと離れた 家に歩いて帰って行った。
あんなに泣きじゃくっていたのに、もう泣いてはいなかった。
泣いてなどいられないのだ。
この厳しい大自然の中、いつまでもメソメソしていられないのだ。
何キロと離れた家には、小さな子供達が腹を空かしているのだ。
チョットかけ離れた、話しになってしまいましたが、豊かな日本の子供達に
優しく、そして ”たくましく” なって欲しい...。

[675へのレス] 命の重さ・・・ 投稿者:シド 投稿日:2001/02/26(Mon) 00:22:47

ななさん、こんにちは。

>命の重さは平等であるという事を判ってほしい。

 ななさんのおっしゃる「平等な命」とは、犬猫だけなのでしょうか?
私たち人間は、いや地上に生を受けた多くの命は、他の命を喰らうことで生きながらえている存在です。そして、その食物連鎖の頂点に立つのが人間です。他の命を不必要に殺さない、というのであれば理解は出来ます。
 しかし、牛や豚の命を食べている私たちにとって、命の重さは平等なのでしょうか? もちろん、文明が発達せず、人間もまた他の動物に食べられてしまうこともあった時代であるならば、命は対等だと思えるのですが・・・。

[675へのレス] Re: 捨て猫も捨て子も捨てたのは・・・ 投稿者:セロリ 投稿日:2001/02/26(Mon) 19:42:58

ななさんと同じことを、私も考えていました。
シドさんの日記を全て読ませていただき、子育てのしかたなどとても感銘
を受け、また現在の乳児院や施設の状況など知らなかった事を知る事ができ、
夢中で読んだ後だっただけに、「STOP犬猫『里親』」のページのなかの
シドさんの言葉には、非常に不快感を覚えました。

なぜこんなに不快だと思うのか?多分、自分が大切に思っている事を、
まさに「犬猫扱い」されたから・・だと思います。
はじめに言っておきたい事は、私はペットの飼い主に対し「里親」という
言葉を使う事を、やめることは賛成である・・ということです。
実際傷付き悲しむ子供がいるのに、「里親」にこだわる理由がないからです。
ペットに「里親」という言葉を使わなくなってもペットも飼い主も
傷付きません。むしろ、今までなんの考慮もなく使っていたことを
謝りたいと思います。

ペットに「里親」というとき、ペットを擬人化しているのかもしれません。
しかし、それが樹木などにも使われるのを見たらわかるように、多くの
人は慣用的に使っているのに過ぎません。
シドさんがおっしゃりたいことは、「間違った使い方をして子供達を
傷付けないでくれ」ということですよね。皆、わかると思います。

そこで、なぜ「弱肉強食」とか「ヒエラルキー」とかがでてくるのか?
もちろん、人間に限らず、動物は、他の動物を食べて生かされているもの
です。うちの猫も魚を食べ、元気です。「命が平等」と言う時、
それは「動物を殺さない」ということではありません。
「感謝して残さず食べる事」「食物を粗末にしない事」
「この世に生きる動物を無用に虐めたり、殺したりしないこと」
「全てが人間の為にあるのではない、生かされていることに感謝する」
という精神を言っているだけなのです。
このことも、もちろん、わかってらっしゃることと思います。

子供達を守りたいあまり、人間以外の生き物に対するrespectを忘れた
表現になっていませんか?「犬猫」と聞く時、「女子供」と似た不快感
を覚える動物好きもいます。しかも「海で動物と人間が溺れたらどちらを
助けるか」とは・・。私は傍らの猫を見ながら泣きました。そして、
私なら猫を助けるかもしれない、と思いました。
「自分なら人間を助ける」というのが、猫と子供、両方育ててきたシドさん
の結論なのですよね、それはかまわないのです。色々な考えがあります。
しかし、それをあの場で言って、多くの野良犬野良猫、殺処分されようと
している命を助けようとしている人が傷付かないと思いますか?

何かを尊重して欲しいと思うとき、もう片方を蔑むのは逆効果です。
「子供の気持ちを尊重して欲しい」ことだけ主張するほうが、心に響きます。
シドさんのあのままの文章では、「ペットの里親募集HP」などに紹介
することもできません。
動物愛護団体に「たかが犬猫という気持ちならおかしい」と言われた時、
どう思いましたか?シドさんの主張に反対されている方が「命は平等」
と言う時、先にシドさんがペットを蔑んだ表現をしていませんでしたか?

もう1度言わせてもらうと、私はシドさんの主張には賛成です。
できるなら、「里親募集HP」にも紹介したいと思ってます。
でも、賛成の私があの言葉を読んで深く傷付いたということを、どうか
わかってもらいたい。このままではもったいないのです。
食物連鎖などと言い出さなくても、シドさんと、ペットを愛する人達は
相容れない存在ではないはずです。特に最後の海のくだりは、再考を
お願いします。
シドさんを尊敬しています。私の言葉が届いてくれますように。

[675へのレス] Re: 捨て猫も捨て子も捨てたのは・・・ 投稿者:alice 投稿日:2001/02/26(Mon) 23:41:33

ななさんこんばんは、
私は今、親に捨てられた(この表現嫌なんですがあえて使わしてもらいます)4才の女の子と暮らしています。
それから、動物愛護団体から連れて帰った犬もいっしょに暮らしています。
女の子も犬も息子も皆仲良しです。
みんな私の大事な家族です。

[675へのレス] おや・・・ 投稿者:青空 投稿日:2001/02/28(Wed) 02:26:27

ええーと、ななさん、こんにちは。青空です。はじめまして。
ひさしぶりにこの掲示板をみたらななさんの書きこみをみて、子どもの立場からの人なのでうれしくなりました。それでついレスを。。。

この掲示板は親の立場の人がほとんどでしょ。それで子どもの立場からの意見があってもいいと思っていたのですが、同じような人がきてうれしいですね。よりよい親子関係ってどんなものか考えるのって、自分にとって有用だし、とても意義のあることだと感じています。

なんか横レスですいません。用語の是非については、また明日にします。

青空

[675へのレス] Re: 捨て猫も捨て子も捨てたのは・・・ 投稿者:ピカリン 投稿日:2001/02/28(Wed) 22:10:32

ななさん、こんばんは。
ななさんの提起したこと、哲学的、宗教的な重い内容ですね。
命の重さは平等かの論議から少しはなれて。。
>私達親の無い人間
 ななさんにとって「親」とはどういう存在として考えているのでしょうか。
親子関係は、人間と動物の間で成立すると思いますか?
もう少し詳しく教えてください。

[675へのレス] Re: 捨て猫も捨て子も捨てたのは・・・ 投稿者:青空 投稿日:2001/03/01(Thu) 01:45:47

エート、私が感じたことはセロリさんがもうすでにおっしゃってくださいました。里親の言葉を動物に使うことはじょじょにやめていくべきでしょうが、強く怒るということは必要はないのではないかな。

日本にはもともと、犬猫を侮蔑する考えというか、表現というのは多いですよね。他人を侮辱する表現にも動物を使うのがあります。そのような意識でペットを考えるのであれば、当然人間を一緒にしたりすれば侮辱ということになります。

しかし、欧米なんかではよくいわれるようですが、ペットって本当に愛していれば、それは家族同然、いや家族の一員になる、という考えの人もいるでしょう。人間と同様の言葉を使いたくなるのでは。

動物と人間に対して同じ用語を使って怒る、という意識の下にはこのような背景があるような気がするのですが。どちらの感じ方を元に言葉の使い方を決めていくべきかというのは、うーん、すぐには決められない?

ななさんとは、家族ってどんなものかしらとか、いろいろと話あってみたいなあ。

[675へのレス] 命は平等という「嘘」 投稿者:シド 投稿日:2001/03/04(Sun) 01:25:25

セロリさん、こんにちは。
セロリさんが不愉快に思われたのは、人間とペットの間に一線を画す私の発言ですね。
これは、どうしようもありません。

私は、人間の命と動物の命が平等などとは思っていません。動植物を食べながら、動植物には食べられることのない人間が、「命は平等」という神経が理解できません。動植物を食べるために、その命を絶っている現実には目を背け、「命が平等」と言い切れる神経が理解できません。少なくとも、私は、自分をごまかしたくはありません。もちろん、無駄な殺生をしない、ペットなどは最後まで責任を持って飼う、などは当然の事ですから、動物愛護の精神は持っています。しかし、あくまで愛護であり、人間と平等に扱うということではありません。平等に扱うことは、逆に責任能力のない動物に対し、失礼であり、不適切なことです。

>何かを尊重して欲しいと思うとき、もう片方を蔑むのは逆効果です。

別に、動物を蔑んでいるのではありません。
人間という種に属するものが、その種を見捨て、他種である動物を救うことが出来るのか。その問いかけです。セロリさんは、どちらを救いますか?

>「子供の気持ちを尊重して欲しい」ことだけ主張するほうが、心に響きます。

最初は、その主張だけしていました。過去ログを読んでいただきたいのですが、それでも、いちゃもんをつけてくる方は大勢いました。

>シドさんのあのままの文章では、「ペットの里親募集HP」などに紹介
することもできません。

別に、紹介してくれなどといいません。個人HPまで文句を付けるほど暇ではありません。公的機関だけを対象としています。「里親」という言葉は、児童福祉法で定義されています。公的機関が、法律で定められた事を遵守しないことに異議を申し立てるだけです。

>シドさんを尊敬しています。私の言葉が届いてくれますように。

この言い方は、ずるいです。あなたの主張を受け容れなければ、まるで私が狭量であるかのようです。議論をするのであれば、正々堂々と議論し、意見を受け容れないことを遠回しに批判するのはやめるべきです。あなたの言い方は、奥歯に物が挟まったような不快感を感じます。

[675へのレス] 動物愛護といえば・・・ 投稿者:シド 投稿日:2001/03/04(Sun) 01:36:51

蛇足ですが・・・、イギリスにおいて、虐待されている子どもを救うために動いたのは、動物愛護団体であったとのことです。当時は、児童虐待を禁止する法律もなく、虐待される子どもを救うには、動物愛護の概念を持ち出さざるを得なかったようです。今は、法体系が整っていて、動物愛護と児童虐待は明確に区別されていますが・・・。

[675へのレス] 動物は家族といいながら・・・ 投稿者:シド 投稿日:2001/03/04(Sun) 17:33:48

青空さん、こんにちは。

 我が家では、生後数日の仔猫を拾ってきてから、実に16年間飼い続けています。実子と同じで、人に媚びない穏やかな性格です。最近は、ボケが入り、トイレを間違えることもあります。そのうち、老猫介護のオムツをしなければならないと考えています。ネコはとても大切な家族ではあります。
 妻と二人で、長男はネコで、次男が実子、三男がブーちゃんなどと、家庭内で冗談を言うことはあります。だんご3兄弟が流行ったときでした。しかし、それはあくまで家庭内だけの事です。

 そして、私はネコの「里親」をしているなどというつもりはありません。対外的には、一切、そのような表現はいたしません。人間以外に使ってはいけない言葉というものは、歴然とあるように思います。ネコを飼うのと、人の子どもを育てるのは、まったく別の次元の話です。

 犬猫に「里親」という言葉を使わないで欲しい

このたった一つのお願いが、どうして、動物愛護に関わる人を刺激し、攻撃的にするのでしょうか? 

[675へのレス] ??? 投稿者:kamonegi_fever   投稿日:2001/03/04(Sun) 18:17:39

>犬猫に「里親」という言葉を使わないで欲しい
>このたった一つのお願いが、どうして、動物愛護に関わる人を刺激し、攻撃的にするのでしょうか? 

「そのたった一つ」だけ、お願いされておられるのでは「ない」からでは?
動物愛護に関わる人を「刺激し、攻撃的」にさせているのは、別の部分ですよ?

「犬猫に「里親」という言葉を使わないで欲しい」ということだけなら、皆さん納得しておられるのではないですか(^^)

[675へのレス] Re: 捨て猫も捨て子も捨てたのは・・・ 投稿者:sido 投稿日:2001/03/04(Sun) 22:50:48

kamonegi_fever さん、まだまだ納得されていないようですね。

過去ログの99年7月頃のNo.[183]周辺の発言をお読みいただきたいと思います。
http://homepage1.nifty.com/foster-parent/yybbs/4.html

>「犬猫に「里親」という言葉を使わないで欲しい」ということだけなら、皆さん納得しておられるのではないですか(^^)

その頃は、まさにそれだけお願いしていましたが、それでも、文句を付けられる方がいて、辟易して、あの表現となったわけです。それで、2年ほどは静かだったのですが・・・。

不法に捨てられるペットを救済するのが目的であれば、あえて「里親」という言葉にこだわる必要はないはずです。「飼い主」で十分なはずです。動物愛護センターなどでは、「動物の譲渡」などの言葉を使い、目的を達しています。
「可哀想な動物」のために頑張っている自己を否定されたと思うのでしょうか? 冷静に考えれば、用語の問題ではないはずなのに、突っかかってくる。そこに、捨てられた動物に何かを投影しているのではないかと勘ぐらせるものがあります。「里親」とこだわらざるを得ない何かを。
 こちとら、毎日、子どもとがっぷりと四つに組んで生活しています。人間の子どもを社会に役に立つ人に育てるために、日々の暮らしの中で奮闘しています。うちで大切に育てている「人間」の子どものためにも、犬猫「里親」という言葉は使って欲しくない。それだけです。

 別の部分というなら、それをおっしゃってください。とことん議論しましょう。

[675へのレス] Re: 捨て猫も捨て子も捨てたのは・・・ 投稿者:青空 投稿日:2001/03/05(Mon) 04:15:03

シドさん、こんにちは、レスありがとうございます。

この問題には過去にも議論があったのですね。うまくつながりが理解できなかったのですがおおよそは読みました。しかし他の方はともあれななさんの発言からはシドさんのおっしゃる投影は感じ取れませんでした。

>私達親の無い人間は、「要らない」という言葉を嫌います。
>必要ない、一緒にしないで、これらの差別を嫌います。
>人間と動物を一緒にしないで、と言いますが、
>どちらも捨てたのは人間ではないですか?。

他にも心打たれる部分がありましたが、とにかくこの場合はななさんが
きちんと自覚している以上、投影とはいわないでしょう。この場合は心からの訴えとか、叫びというべきでは?捨てられた人間のつらさ、苦しさを感じ取れるものでした。過去にあった議論とは少し流れが違うのでは。

シドさんのお考えは理解できました。しかしながら

>ネコを飼うのと、人の子どもを育てるのは、まったく別の次元の話です。

シドさんはこれはどうしてか問い掛けたら、あまりにもあたりまえなことなので回答するのに苦慮するような気がします。このシドさんの考えが当然と私は思うのに、なぜか感情の面で受け入れがたい部分があります。自分が動物なみにしか扱われてこなかったからですかね。人間は人間らしく扱われて人間らしい考えが身につくのだと思えてなりません。

>命の重さを感じない人間は簡単に差別が出来るんです。
>だからそういう差別はやめてほしい。

里親表現を動物に使わないことが差別ではないという説明が不充分ではないでしょうか?動物の命に対する配慮のある表現が必要なのでは?

動物を家族と考える人は多いです。動物だけが家族という人も多いでしょう。
孤独が蔓延するこの世の中で、やむおえない事情でそうなる人は多いと思います。(私なんてペットすらいない、悲しい。。。)里子の気持ちを傷つけない表現を求めるならこのような人達を無用に悲しませない表現を考えるのも必要かと思います。この場合は表現について、ただ一点が問題と感じました。

[684] おはようございます(^^) 投稿者:kamonegi_fever   投稿日:2001/03/05(Mon) 10:11:36

過去ログ読ませていただきました。
たくさんあった中から探していただけたのだと思いますが、ありがとうございました。 すいませんでした。

いえ、私は納得できるんですよ(^^;)
あのページに書いていないこともここでご説明いただけましたから。
ただ、ページがあのままでは、初めてここに来てあれをご覧になられる方々は、先の私の書いたことのように(ななさんやセロリさんもおっしゃっていますが)受け取られる方々もまだ出てくるのではないか、ということですよ(^^)
2年ほど静かだったとのことですが、HPというのは毎日違った方が見るわけではなく、必要があって検索して見に来る場合と、どこか他で話題に上がっていたので見に来る場合とがありますよね(他にもありますけど)
私の場合は後者なんです。
話題に上げられていた他のサイトや掲示板の注目度により、また話題の取り上げ方により、その話題に集中した内容の話が再び盛り上がってくる、というわけですね。
私は過去ログを教えていただき、それによっても過去にあった話を読むこともできましたし、ここで直接シドさんからのお話も聞けましたけど、
新たに来てご覧になられる方には、やはりあのページ以外のことは見えないわけです。

そこで「別の部分」ですけど、「STOP!犬猫「里親」 コーナーに対する反響で思うこと」の部分ですね。
シドさんがペットをお飼いになっていて思われること、なぜシドさんが動物と人間は平等ではないと思っているか(「動植物を食べながら、命は平等だと、自分をごまかしたくない」という姿勢)ということ、
私はそれを聞いて納得できたのですが、いえ、他の方もそれで納得できるかどうかはわかりませんが、私が聞いて納得できたそれが「ある」のと「ない」のでは、初めて来た方の受け取り方が だいぶ違ってくるのではないでしょうか?ということを伝えたかったんですね(^^;)

教えていただいた、過去ログの中の183ですね、やはりいきなり来てあのページを読めば、頭にババッと「差別」という言葉が浮かぶと思います。
シドさんがペットに対して持っておられる「優しい部分の感情」とがなにひとつ見えてこない・・・・
それから、過去ログ183へのレスに
>あなたは、ウチの里子に向かって、「私もペットの里親をしているのよ」と言えますか?
というのがありましたね。
>人間と動物の子どもが海で溺れているときに、どちらを先に助けますか?
の表現より、上記の方がとてもよく伝わると思います。。。

「差別」という言葉が出てくるから「では平等か?」という言葉になるのだと思うのですが、昨夜考えていて、
命が「平等」に「扱われていない」ことは確かですし、扱うことも不可能ですね。
ですが「命は『同じ』」だと思うんです。
例えば、草花を見る時、草花と自分を「平等」に扱うのは無理ですが、「命は同じなのだ」と感じることはできます。
植物の芽生え、動物の生死、そんなものを見て「命は『同じ』」と感じることはあります。
我が家は酪農家です。 生活がかかっていますから、動物愛護のありかたがいきすぎであると感じた時、反論をせざるを得ません。
そしてやはり、我が家の牛たちと自分たちを平等に扱うことは不可能です。
ですが、牛たちと自分たちの命は同じだと感じます。
平等に扱えないことに申し訳ないと思い、感謝もし、牛乳をもらった後はありがとうという気持ちをこめてブラッシングをしてやります。
ななさんがおっしゃっておられるのは、「動物も平等」ではなく「命の重さは平等」なんですね。
扱いを平等にしてというのではなく、「命の『重さ』は平等(同じ)」と考えて欲しいということではないでしょうか。

>人間と動物の子どもが海で溺れているときに、どちらを先に助けますか?
平等に扱うことはできませんから、「先に」子供を助けるだろうと思います。
ですが、それは動物を見捨てるということではありませんよね。
一緒に溺れてしまった動物が愛犬であり愛猫であったなら、次に死ぬ気で助けようと思うでしょうし、助けられなかったらその悲しみも限りなく大きいと思う、愛犬愛猫でなくとも、助けられなかった自分の無力さを悲しむと思います。自分がもうひとりいれば、他に助けてくれる人数がいたら・・・と思うでしょうね。
子供が助かったことだけを素直に喜べるでしょうか? 助けられなかった動物への感情はないのでしょうか?
そんなことはありませんよね。
そのことは、シドさんが飼っておられるペットの話を聞けばわかるので、私は納得できたのですよ。

[684へのレス] Re: おはようございます(^^) 投稿者:kamonegi_fever   投稿日:2001/03/05(Mon) 11:47:37

とことん議論をしましょうとおっしゃっていただけたので、もう少しお話をさせてください。
人間が動物に自身を投影することですが、思春期のお子さんなどには少なからずいらっしゃるのではないかと思います。
何か大きな悩みを抱えて、それを自身の手で解決できない時に「犬だったらよかったなぁ」とか考えることを経験された方はいらっしゃるのでは?
ななさんのおっしゃることはたぶん、それに近いことだと思うのです。
「自分と同じ、捨てられた命」と同化されてしまっておられる・・・とても悲しいことですが、「平等ではないんだよ、同じではないんだよ」という言葉がはたしてどこまで届くでしょうか。
>人間と動物の子どもが海で溺れているときに、どちらを先に助けますか?
という表現を読んだ時、「それでは自分が犬だったら先に助けてはもらえないんだな」という気持ちを「まず」持たれる可能性があるのではないでしょうか?
平等に扱えないことは確かです。 ですが、悲しんでいる心にそれを届かせるのは難しいことだと思います。
命が平等ではなくても「捨てられた」という事実が同じである以上、その悲しみを取り除いてあげられるのは「捨てられた者たちが全て幸せになること」なのではないでしょうか。 人間も、動物も。

「里親」という表現は、人間に当てはめて存在する、それは事実です。
だから使わないで欲しいと説明すれば、ななさんには伝わると思います。
ですが「平等ではないんだよ、同じではないんだよ」ということでは、捨てられた動物たちも自分と同じでかわいそうと思っている心をわかってもらえていないということになってしまうのではないでしょうか。

[684へのレス] 命の定義について 投稿者:シド 投稿日:2001/03/05(Mon) 12:17:29

kamonegi_fever さん、
お書きになった趣旨、大変理解できます。
たしかに、当時は辟易として、挑発とも言えるページを書きました。
これは、確かにご指摘のとおりです。少し考えさせてもらって、考えたいと思います。ただ、記録ですので、新しい見解を書くとはしても、今までのも過去ログとしては残すと思います。

さて、議論についてですが、前提として共通の定義が必要です。
「命は同じ」と議論するとき、その「命」の定義が必要です。動物だけなのか、植物も含めるのか、バクテリアや細菌まで含めるのか。私が「命」と聞いて連想するのは、この地球に生存している全生命体です。これは、広げすぎだと思うのですが、それでも、議論するなら、何らかの線引きは必要だと思います。

 ですから、ここでいう命の定義を、「動物」だけにするのかについて、共通の認識が必要だと思います。同化については、ちょっと、正面切って議論したくないです。必要な人にとっては、必要なステップだと思いますから・・・。

[684へのレス] ありがとうございます。 投稿者:kamonegi_fever   投稿日:2001/03/05(Mon) 14:01:19

長々と読んでいただいてありがとうございました。 

>今までのも過去ログとしては残すと思います。
はい(^^)
いえ、逆に残っていた方が、シドさんが考えておられることがよく伝わるのではないかと思いますよ(^^)

>私が「命」と聞いて連想するのは、この地球に生存している全生命体です。
はい、そうであろうとは気づいていました。
私はその全ての命も「同じ」だとは思いますが、「平等に扱うのは到底無理」ですね(^^;)
バクテリアや細菌にいたっては、命は同じだと感じる方々の状況も違うでしょうけれど、顕微鏡などで見ることができて、初めてそこに「生命の営み」を見、感動したりするのですね。 その命は「形態」としては同じであるということにはなりませんが、つまりは「生きている」ということの「同じ」ですか、そう感じることは関わっている方々の中にはされておられる方がいらっしゃるのではないかと思います。

「命は同じ」とする時、「同じ命だから平等に扱おう」ということではないことは繰り返し述べてきましたが、
そうですね・・・バクテリアを利用して何かをされようという時、細菌から逆に薬になるものを開発しようという時、そこにあるのはやはり「感謝の心」だと私は思います。 その命があったからこそ利用することもできるのですから。 
動物愛護で、現実に「バクテリアまで保護しよう」という動きはありませんが、いきすぎてそれに近い行動になってしまっているところもありますよね。
ですが、平等に扱うことは不可能です。
極端に言えば、「平等」だからといって人間に合わせる必要はなく、逆に「平等だから」人間の生活を動植物と同じに扱ったら?ということにもなりかねません(^^;)
話がずれましたが、「命」は「生きているもの」として「同じ」ではあります。 心臓がないとか分裂するとか 形態の違いはあっても「生きている」ことに違いはない。 どこで線引きしてもそれは同じですよね?
でも平等には扱えない。
なので、シドさんのおっしゃる「動植物を食べながら、命は平等だと、自分をごまかしたくない」という姿勢は確かなものであり、聞いている私が納得もできるのですよ(^^)
シドさんは、「平等ではない」からこそ 動植物を食べる時に感謝するでしょう(^^)
「平等」に扱いたいと思っていたら、生きていくことは不可能ですよ。
この世の中に、生きているもの以外の食べ物はありません。

>同化については、ちょっと、正面切って議論したくないです。
>必要な人にとっては、必要なステップだと思いますから・・・。
はい、これもわかっています。。。
それを乗り越えることで、強く生きていける力になるということがあること、わかっています。。。
ですが、「同じではない、平等ではない」と言われて気づくことでも乗り越えることでもないのではないでしょうか?
>必要な人にとっては、必要なステップだと思いますから・・・。
とおっしゃる、その中には・・・シドさんわかっておられるんですよね・・・本当は。。。
つまり、ななさんにとっては必要なことなのではないでしょうか?
「同じではない、平等ではない」と、急いだ結論を与えることはないのではないか・・・と思ったわけです。
命を同化して、その矛盾に気がついて苦しむことはこれから出てくるでしょう。 そこから自分が他の命に生かされているということに気づき、感謝の気持ちが出てくるのだと思います。
ななさんにとってここで必要だったのは、他の命に感謝している他の方々の姿ではないか、「命は同じだ」という言葉に対して「そう感じる人もおられるのですね」という「まず」受け入れではなかったのでしょうか。
「同じではない、平等ではない」とおっしゃるのは、いきなり唐突すぎたのではないか、というのが 私の頭に最初に浮かんだのでした。

[684へのレス] ありがとうございました 投稿者:青空 投稿日:2001/03/06(Tue) 23:28:01

青空です。kamonegi_feverさん、ありがとうございました。

私のいいたいことはkamonegi_feverさんがいってくださいましたので、
私のいうことはもうないでしょう。

ありがとうございました。

青空

[684へのレス] Re: おはようございます(^^) 投稿者:なな 投稿日:2001/03/13(Tue) 13:25:33

色々な記事を読ませて貰いました。
中には「主旨が伝わってくれなかったか〜」と思うものもありましたが、
色々と考えさせられたり、むっとしたり、泣かされたりしました。
最初は言いませんでしたが、私は今ピンク産業で働いています。
養護施設を出た私には、と言うより私達には他に仕事が無かった。
「この不景気にあんたみたいなのを雇う余裕は無いよ」と言われた
事もありました。
私だってやりたかった事はたくさんあったんですよ!

シドさんが言ったプロセスは知らない方がおかしい事です。
私達は余分な命を奪って食肉にしている。
食べる分だけ殺していればそれは「食物連鎖」の中に入る行為
なのかもしれませんが、私達のしている事は外れた行為です。
それに食品の安全や医学の進歩を求める傍ら、研究に使われている
動物達に「可哀想」とも言ったりします。
世の中矛盾だらけで、善悪なんて認識出来ません。
そして顕微鏡の中の微生物はれっきとした生き物ですし、
人間だって大昔を遡ればそうだったんじゃないでしょうか?
どこかで線を引くというのはそんなに重要ですか?
これに線を引くには自分自身がよほど正しくないと出来ない行為です。

私が言っている「差別」というのは現実世界の差別です。
命を差別しないのは当たり前だと言う前提で、
そんな小さな差別を平気で出来るんなら、いつかきっと大きな
差別が出来ると言いたいのです。
私の説明がおかしいので、誤解が生じるかもしれませんが、
私はずっと平等には扱われなかった、履歴書ひとつとっても、
住民票ひとつとっても、塗りつぶしたい過去があります。
「命は同じよ」と唱えたって、現実誰も平等に扱ってくれない。
体売って生活しなければ生きていけないんです。
私から見れば、ここに揃っている方達は、自分自身は空の上にいて、
たまに手を伸ばしては自己満足に浸っているように思えるんです。
動物云々では無く、人間同士が同じ位置に立てないのに、
命に線を引くなんて言ってないで下さい。

命は平等だと信じたい、これは基本中の基本だと信じたい。
だから私は蚊もゴキブリも殺しません、家に入れないようにするとか
見かけたら外に出します。
でも必要な分のお肉や魚は口にします、でも贅沢なんてしません。
野菜だってなんだって残しません、
ちゃんと感謝して食べますし、これは皆命だったのだと感じる事も
出来ます、だってそれは私が昔から「ゴキブリ」と同じだと
感じて来た、言われて来たからに他なりません。
要らないから捨てる、平等に扱え無いから切り捨てる、
「何にも悪い事してないのに」何度そう感じたか。
ゴキブリだってそうでしょ?
何か悪いことをしましたか?、病気を運ぶ、黴菌を運ぶと言われて
ますが、実際はそんなことは無いそうですよ。

同じなんです、人間のやることは。
差別は小さかったら良い、って事じゃないんです、
どこかで線を引くというのが差別だと思って下さい。
同じでいいじゃないですか、自分達は線を引かれる立場じゃ無いから
簡単に「一緒にするな」みたいな事を言えるんですよ。
そういう文字を見た時の私達の気持ちも考えて下さい。

知ってますか?イジメをする子は相手の事を
ゴキブリ位の対象にしか見えてないそうですよ。

色々きつい事を書きました、
でも基本的にはここのサイトに感謝しています。
幸せになれる子が増え、私達のように自分の道さえ選べない
ような子を減らして欲しい。
だからこそ、あまり現実を甘くみないで欲しいのです。
小さな差別は必ず大きな差別を生みます。
これからも応援しています。

[684へのレス] ななさん、 投稿者:シド 投稿日:2001/03/13(Tue) 14:25:26

この掲示板で、オープンにして話し合うには、差し障りもあると思います。
よかったら、メールで話しませんか?

[684へのレス] Re: おはようございます(^^) 投稿者:青空 投稿日:2001/03/17(Sat) 02:36:13

ななさん、こんにちは、青空です。
よかった。ななさんがみていてくれた。もう見ていないのかと思っていました。またお名前を見ることができてうれしいです。

さまざまな差別にあって、ピンク産業で働かなくならなければならなくなったななさんにどんな言葉をかけたらよいのかわかりません。でもよくぞけなげに生きてきましたね、とほめてあげたいね。つらかっただろうと思います。私としては上からななさんを見下ろすつもりなどありません。私も自分の人生に自分のやりたかったことを何一つやってないと思えます。生きていくために、生き残るために自分のやりたいことはできませんでした。子どもの遊び一つにしてもあまりやってなかったので、今ごろやりはじめたりしています。

子どもの頃から平等に扱われず、命は平等であって欲しいと願うのは当然のことと思えるなぁ。正直なところ私は人間と動物の命で軽重があるとも思えないし、自分のペットと他人が同時に溺れていたら、自分の愛するペットを助けるタイプですね。

ななさんはゴキブリと同じじゃないですよ。私から見て価値ある人間です。私と同じように差別されても、他人からバカにされても一生懸命に生きてる人間じゃないですか。
ななさん、かぜがはやってますので気をつけてね。私はこの二日間寝こみました。青空

[645] 森林「里親」・・・(-_-;) 投稿者:シド 投稿日:2001/01/31(Wed) 16:52:25

2001/01/29 毎日新聞ニュース速報

<特報・森林里親>都市住民に整備を託す制度を開始へ 兵庫

 森をあなたの庭にしてみませんか――。兵庫県は、市や町、森林組合が県内の森林を所有者から借り上げ、都市住民に一定期間にわたって整備を託す「森林の里親」制度を始めることを決めた。同県では森林整備のボランティアが盛んに行われているが、「自分専用の森林」を持つことでガーデニング感覚で整備に一役買ってもらう試み。こうした取り組みは西日本では初めてといい、県は森林の荒廃を防ぐとともに、都市と山村の交流を促進できるとしている。

 制度は、市町や森林組合が所有者と10年程度の森林賃貸借契約を締結。そのうえで、市町などが森整備のエリアや条件、利用方法、期間、料金などを定め、都市住民と利用契約を交わす仕組み。県は環境整備や機材購入などで市町や森林組合を支援するほか、林業改良指導員も派遣する。

 兵庫県では木材利用が減る一方で安い輸入材が増えるなど、スギやヒノキなどの人工林の保全が経済的に困難になり、林業離れが森林の荒廃を招いている。そこで、1996年に森林整備のボランティア「ひょうご森の倶楽部」を発足。現在、約1100人の都市住民が森の手入れなどに携わっている。

 今回の試みは森林所有者を手助けするだけでなく、都市住民にも森林浴や木工クラフト、キノコ栽培、苗木育成などを家族ぐるみで楽しんでもらおうと企画。4月をめどに、阪神、東播磨、西播磨など県内5地区で計約10ヘクタールの森林を確保して環境を整え、1000平方メートル程度の区画を設定。11月ごろには、約100人の里親を募集したいとしている。問い合わせは、県豊かな森づくり推進室(078・362・4192)。【堀 雅充】

[636] ペットの「里親」 投稿者:シド 投稿日:2001/01/22(Mon) 10:07:58

2001/01/21 共同通信ニュース速報
安易なペットの処分やめて 身勝手な飼い主に批判 北九州市

 飼い主の都合で安易に犬、猫などのペットが処分される現状を改善しようと、北九州市動物管理センター(同市小倉北区)は飼い主に動物の命を尊重し、責任を果たすよう呼び掛けている。
 「子犬(猫)が生まれ過ぎた」「引っ越し先で飼えない」「病気で苦しむ姿を見たくない」など飼い主の都合によりセンターで殺処分されるペットは犬千二百匹、猫四千八百匹(一九九九年度)に上り、捕獲されて処分される数を上回る。
 方法は二酸化炭素による窒息死。その後、焼却炉でまとめて焼かれ、一部の遺灰が敷地内の慰霊碑に納められる。
 センターは処分を依頼されれば原則として断ることはできない。職員の一人は「一般の人から無慈悲に流れ作業でしていると思われるのが一番つらい」と話す。
 センターは訪れる飼い主に施設を公開、思いとどまるよう促す。中には、寸前でやめたり、一度帰宅してから慌てて取り戻しに来るケースもあるが、ほとんどの人は、迷わない。
 生まれて間もない子犬や子猫は保護され、月に一度開催される「里親探しデー」で、新しい飼い主に譲渡される。
 処分されるまで猫は一匹用の小さなかご、犬は三―五匹用のおりの中でそれぞれ数日間過ごす。犬は折り重なって寝ていたり、隅の方でじっとしていたりとさまざま。人間が前を通るたびに悲しそうな鳴き声を上げる。
 全国的に見ても、保健所などで処分される犬と猫は年間約五十万匹で、七割が飼い主の都合だ。
 センター次長の池上寛さん(52)は「人間の気持ち次第で死なずに済む動物がどれほどいるのか、一人でも多くの人に知ってもらいたい」と話している。(了)

[636へのレス] Re: ペットの「里親」 投稿者:じょじょ 投稿日:2001/01/24(Wed) 10:34:23

ここで「里親」という、表現が適切かどうかも大切なんでしょうが、
殺されてしまう動物たちを思うと、ほんとうにつらいです。

[627] 猫の「里親」・・・(-_-;) 投稿者:シド 投稿日:2001/01/11(Thu) 11:33:44

他の新聞社は、わざわざ「里子」などという言葉は使わずに記事を書いています。読売新聞の見識を疑います。


2000/01/10 23:08
米大統領の愛猫、「和平交渉実らず」里子の危機

読売新聞ニュース速報

 【ワシントン10日=坂元隆】「ファースト・ペット」として全米で有名になったクリントン米大統領一家の愛猫「ソックス」が、今月二十日の大統領の任期切れを機に“里子”に出されそうになっている。
 黒と白のぶち猫のソックスは一九九三年、クリントン一家と共にアーカンソー州からホワイトハウス入りし、ファンクラブが結成されるほど国民の人気を集めた。しかし、九七年に大統領が飼い始めたブラックラブラドール犬の「バディ」と折り合いが悪く、バディと顔を合わせると毛を逆立て、一触即発の状態になることがしばしばだった。
 シーワート大統領報道官は中東和平交渉なみに「大統領は任期の最後までソックスとバディの仲介交渉を続ける」と話しているが、大統領は結局、仲介を断念してバディを選んだ模様。ソックスは秘書のベティ・カリー女史に預けられる可能性が濃厚だという。


参考

2001/01/11 朝日新聞
「ファーストキャット」どこへ
天敵犬との同居目指し、米大統領、和解に尽力

 クリントン大統領一家はまもなくホワイトハウスを離れるが、愛猫ソックス=写真、AP=の身の振り方がまだ決まっていない。
 9歳のソックスは、1993年、一家とともにホワイトハウス入りした。
 事情通の話では、秘書のカリーさんに譲るという選択肢や、ヒラリー上院議員の事務所で暮らす案、ニューヨークの一家の自宅で愛犬バディーと同居するなどが考えられているという。
 問題は、バディーを見ると、ソックスが毛を逆立てるほど仲が悪いことだ。報道官によると、「彼(クリントン大統領)はペット同士の和解にここ数年力を尽くしてきた。(ホワイトハウス)最後の日までこの努力は続ける」という。

[627へのレス] 抗議文を送りました 投稿者:シド 投稿日:2001/01/11(Thu) 11:48:03

初めまして、「人間」の里親をしているシドと言います。

さて、1/10付けの貴紙では、『米大統領の愛猫、「和平交渉実らず」里子の危機』と、人間に使われるべき「里子」という言葉を、猫に使っています。これは、里親家庭で暮らす子どもたちに対して、大変な侮辱ではないでしょうか?

里親家庭で暮らす子どもたちは、99年度末で、1,687名います。里親家庭で暮らす子どもたちが、この記事を読んだとき、里子である自分たちは、「犬猫」と同じか、との印象を受けるのではないでしょうか。

他の新聞社は、わざわざ「里子」などという言葉は使わずに記事を書いています。人間以外のものに、安易に「里子」という言葉を使う読売新聞の見識を疑います。今後は、人間以外のものに「里親」「里子」という言葉を使わないよう、お願いしたいと思います。

[627へのレス] 人生ゲームにて 投稿者:じょじょ 投稿日:2001/01/14(Sun) 15:52:52

今朝、子どもと人生ゲームをしていたら
「男の子と女の子を養子にもらう。」という、マスがありました。

「子どもが居ない場合はユニセフに10万ドル寄付する。」
っていうマスもあって、以前の私ならひっかからなかったでしょうが、ちょっと、疑問に思ってしまいました。

[490] 意見として 投稿者:小鳩 投稿日:2000/06/27(Tue) 13:32:50

こんにちは。
私は自分の本当の親を知りません。養親にはあらゆる
虐待を受けて育ちました。だから施設や優しい養子さ
んの家で育った子たちがうらやましかったです。

そんな環境だったので、私にとって家族といえるものは
猫や犬たちでした。
彼等が私に人間としての、最後の優しさを守ってくれた
のだと思います。7才の時には自殺未遂もしました。

今は障害のある犬を飼っています。誰も好んでそんな体
の犬を飼いたいとは思わないでしょうね。でもたとえ短い
間でも、出会ったのだから一緒に生きていこうと思います。
別にだからといって犬に服を着せたり、愛犬家というほど
ではないです。友だちでしょうか。

里親の表現ですが、なんだか悲しくなりました。どうして
そんな差別をするのか、わかりません。なぜみんな一緒が
いけないんでしょうか。私が「本当の子じゃないから」
と差別されたように、犬や猫の里親さんにもするのですか?
それでは弱いものが弱いものをたたくだけでは?
里親の表現がネックで日本に里親になる家庭が少ないわけ
ではないのに....。
みんな、心に余裕がないのですね..........。
結局、人間の里親さんも本当の親たちも、なにか、どうでも
いいことにがんじがらめにされてしまっているんですね。

人間っていやだなと思いました....自分たちの立場からしか
ものを考えられないなんて.....私もですね.....
勝手なこと書いてごめんなさい。
さようなら。

[490へのレス] ご意見をうかがって 投稿者:jまにまに 投稿日:2000/06/27(Tue) 16:31:00

小鳩さん、こんにちはわ。

>7才の時には自殺未遂もしました。

7才でですか!そうですか。 
それはまた若すぎるときに。
いろいろとおありになったのですね。
だからこそ、今のあなたの優しさがあるのですね!。

障害のある犬をお飼いだそうですね。
その犬を産んだ犬のことを言葉や文字で表すとき
「その犬の親」とか「その犬の母親」というのでしょうね。
その犬が仔を産んだら
「その犬の赤ちゃん」というんでしょうね。
三匹生まれれば「三つご」四匹生まれれば「四つご」
というのでしょうね。
「おばあちゃんとか孫」と表現することもありますよね。
昔「我が輩は猫である」と威張っていた猫もいましたっけ。
犬の収容所や犬の健康保険、犬のお葬式、
みんな人間に使う言葉と同じ言葉を使用していますね。
なのに誰も文句をいってきませんねー。
だったらなぜ「里親」は人だけなのでしょうね。


・赤ちゃんが泣く⇒犬が鳴く 咆える
・私の子ども⇒私の小犬・小猫
・人の子⇒犬の仔
・子どもを養子にする・子どもを迎える⇒小犬を貰う
・客人に茶を出す⇒犬に水をやる
・子どもに食事を与える⇒犬に餌をやる
(最近は「犬にご飯を上げる」と言い「子どもに飯を食わす」という人もいますね。)
・三人の人⇒三匹の犬

この辺になるとチョット変わってきますね。
この辺を人に対して逆に使うと相手のご機嫌を損ねますが、
古くは「三匹の侍」、新しくは「永遠の仔」等の表現もあります。

これらの言葉の使用方法は、きっと長い習慣によって形づけられて
きた日本の文化なのでしょう。

ところで、ペットの里親の話しですが、ペット類に「里親」の語を使うようになったのは、この10年ぐらいの間の話しだと思います。人間の里親の語が文献に出てきたのは、チョット古くなります。

「1.奈良時代聖武天皇の御代、光明皇后が悲田院・施薬院を設置し救済事業を行なった。施薬院は医療事業であり悲田院は恤救事業である。東大寺建立にかかわる労役者集団の孤児なども対象として民間委託したと言われている。
2.平安時代になって、後一条天皇の御代四条大納言藤原公任の息女が岩倉に養育委託されたとの伝承があり、このあたりを里親の始まりという。」

約百倍の開きがあります。それゆえに今まで里親といわれてきた人達から言わせれば大きな抵抗があります。しかし、人の里親さん達が主張しているのは、人の里親とペットの里親を差別して言っているのではありません。里親さんのところに来ている「子ども達がどう思うかな!」といった観点で、子ども達に寂しい思いをさせたくないという気持ちで「ペット類などに里親の用語を使用しないで欲しい」と主張をしています。

子ども達の中には同類相憐れむとする子どももいれば、ぜんぜん気にしないという子どももいます。でも「社会は、自分たちのことを犬猫と同様な言葉で扱う」と不機嫌になる子ども達もいます。その辺のところをご理解くだされば幸いです。


ところで私が子どものころは、ペット販売業というものが成り立たない時代でしたから、犬や猫は拾ってくるか貰ってくるものでありました。今は買ってくる場合のほうが多いのでしょうかねー?。
貰ってきた等の場合を里親と言うとすれば、買ってきた場合にはなんと言っているのでしょうか?。
ペットの里親さんに貰われてきた犬の場合は里子の犬と言うのでしょうか?

[490へのレス] Re: 投稿者:もも 投稿日:2000/06/28(Wed) 17:14:33

  まにまにさんの意見は、いつも勉強になります。 
  さて、小鳩さん、文章を読みますとどうしても、人を信じれない、悲しみのまま生きている、けれども、無償の優しさがある方と思いました。 
  けれども、みんな、心に余裕がないからどうでもいいことに、がんじがらめなんて、本当に悲しいつぶやきですね。
  ここの掲示板の里親、養親さんは、どうやったら子供が幸せになれるか、
自分が間違っていないか、議論したり、悩み、泣き、怒り、時には笑う。
  だから、どうでもいいことにがんじがらめじゃない。どうでもいいことじやないから、がんじがらめになるのです。
  人間をいやだ、なんて、悲しいことを思うよりも、自分を好きになりましょう。自分を好きになると、楽しいこと、嬉しいことがたくさんみつかりますよ。  

[490へのレス] たしかに、動物は心の慰めになります 投稿者:シド 投稿日:2000/07/03(Mon) 11:13:38

小鳩さん、こんにちは。
養親のもとで苦労されたことに、同じ血縁のない子を育てている里親として、大変胸が痛みます。小鳩さんが、虐待の傷から回復され、新たな人生を歩く出せるよう、お祈りをしております。

 さて、小鳩さんにとって、大切な動物なのでしょうね。
 動物を飼っている方の、家族同然としてかわいがっている様は、大変ほほえましく、また和ませるものを感じます。
 我が家でも、生後数日の、目が開いていない捨て猫を拾って以来、15年も一緒に暮らしています。家を空けられないから、家族旅行もできません。猫の15歳となると、人間では76歳に当たるとのことで、そろそろお迎えが近いと思います。この頃は、ぼけが出てきているように感じます。

 我が家では、本当にペットを家族としてかわいがっています。しかし、それでも、ペットの里親をしているとはいいません。我が家との里子ちゃんが、それを聞いたら、どう思うかと考えると、冗談でも言えません。君はペットと同じといわれている気がすると思います。

 ペットは、餌を与え、病気になれば医者に連れていき、たっぷりとかわいがります。しかし、人間の子どもは、人間として、この社会に生きていくことが出来るように育てます。自ずから、育て方は違います。それを差別とはいいません。人間とペットを同じに育てることは、逆に虐待になると思います。人間をペット並に育てることも、ペットを人間並みに育てることも。

 無差別な博愛主義は、問題の本質を曖昧にします。動物愛護も、行き過ぎれば、牛や豚を食べることも否定し、果ては命あるものすべてに及び、植物すら食べることが出来なくなります。人間と動物は、厳然と区別すべきであると思います。それと、動物愛護は、なんら矛盾しません。

 人は、それぞれ辛い過去を抱えて生きています。それを乗り越え、子どもに同じ思いをさせたくないと、里親や養親になる方もいます。私も、養護施設の限界を感じ、人の子を人として育てるために、里親をしています。ペットの「里親」とは、覚悟が違うと思っています。

[471] 里親呼称について 投稿者: 茶太郎 投稿日:2000/06/14(Wed) 18:31:10

こんにちは。
はじめてお邪魔します。崖っぷちの40歳里親希望者です。
シドさんHPにお邪魔するようになってまだ日は浅いのですが、本当にいろいろ考えさせられます。
呼称については「ハッと」させられました。「里親」という呼び方は犬や猫などの動物の飼育者を求める場合に使われるケースを目にすることが多いです。私も全くなんの疑いもなく使っておりました。しかし、これは改めていかなければならないと思いました。
呼称については別の事でも取り組んでします。私は色覚に異常があるので、日頃からそのボランティアメンバーと眼科医の方々と「色盲」という呼び方にまつわる誤解、誤認識をなくすため別の呼び方をしていただくよう運動もしていますが、なかなか上手くいきません。それなのに、犬や猫の里親という呼び方にちょっと配慮が足らないことに気づかず恥ずかしい限りです。
私に何ができるかわかりませんが、愛玩動物飼養管理士(ペットアドバイザー)の資格を持ち、千葉管理士会に所属しております。また7月には勉強会が予定されていますので是非ともこの話題を提示してみたいと考えています。なんとか全国の管理士会で認識していただけるようにしたいです。
ちょっと話題のずれた書き込みですみません。

[419] どうぶつ「里親」記事 投稿者:シド 投稿日:2000/02/28(Mon) 11:00:31

2000/02/28 朝日新聞ニュース速報
◇レッサーパンダとアライグマ、待遇は天と地◇

 姿が似ていて分類上も親せき筋に当たるレッサーパンダとアライグマの運命が、国内で天と地ほどに分かれようとしている。希少種であるレッサーパンダは、繁殖を目指して全国の動物園が参加した「お見合い」が始まった。ペットが野生化したアライグマは、農作物を食い荒らすなど被害が拡大したため、北海道や神奈川県で今春から駆除が一層強化される。
 茨城県の日立市かみね動物園に1月半ば、高知県立のいち動物公園からレッサーパンダの9歳の雌、姫姫(チチ)が運び込まれた。のいち動物公園には3月中に、山口県の秋吉台自然動物公園から2歳の雌、フウコがやって来る。
 「姫姫は気が強く、雄を追っかけ回した。気だてが優しいと評判のフウコに来てもらった。異性への好みが厳しく、人間のお見合いぐらい神経を使う」と絹田俊和・のいち動物公園副園長。
 日本動物園水族館協会が昨年9月、繁殖検討会議を発足させ計16組の縁組をまとめた。
 ワシントン条約で取引が制限されている絶滅危ぐ種。日本にいるほとんどは、中国政府から贈られた「友好親善大使」とその子孫たちだ。1975年に初来日し、97年には218匹まで増えたが、現在は五十園で210匹と頭打ちになっている。
 これまでも親しい園同士で交換されてきたが、限られた園だけでは近親交配が避けられない。血統を一括管理して、年齢や性格も考慮に入れて良縁を考えることになった。
 一方のアライグマ。約20年前からペット用の輸入が増え、捨てられた後に野生化している。
 北海道では93年度以降、被害が拡大の一途をたどり、98年度にはトウモロコシやスイカ、メロン、牧草など3100万円分が荒らされた。363匹を同年度に捕獲し、「勝手に捨てないで」と呼びかけるパンフレットも作ったが、焼け石に水だ。
 道庁は昨秋、対策検討委員会を設置した。年度内に排除計画をまとめる。道野生生物室は「よほど気候が性に合ったのか、恐るべき繁殖力。専門家の知恵を借りて徹底的に捕獲する」。
 神奈川県では99年春、鎌倉や横須賀、逗子、藤沢などで、民家の天井裏に住みつき、ニワトリ小屋を荒らす例が見つかった。県と各市は共同で新年度から本格的に駆除する。
 動物保護団体「ヨコハマ・ドッグ・レスキュー」は全国の動物園に引き取りを打診したが、「要望が多く、もう限界」。原産地の北米へ戻す案も、現地の保護団体が「生態系を崩す恐れがある」と難色を示し、進んでいない。
 昨春、13匹の赤ん坊を初めて捕獲し、不妊手術や予防接種など8万円以上を負担しても構わないという「里親」に引き取ってもらった。北浦清人代表は「今春はさらにたくさん産まれるだろうが、里親の善意に頼るしかない」と言う。

[419へのレス] Re: どうぶつ「里親」記事 投稿者:まにまに 投稿日:2000/02/28(Mon) 11:37:48

朝日新聞は、ヨコハマ・ドッグ・レスキューを取材し、2月16日にも地方版で「捨て犬に幸せ探し」の記事タイトル中に「メンバーが保護してきた犬たちの里親になる人が増えている」「捨てられた犬だからこそ飼いたい、という里親さんに大勢めぐり合えた。とても心強い」との表現を用いた。

2/28上記ニュース速報は朝日新聞本紙全国版社会面の囲み記事で掲載されていますね。おそらく両方ともヨコハマ支局からの発信でしょう。

[314] 里親という言葉について。 投稿者:はな 投稿日:99/11/21(Sun) 05:38:31

ドンキホーテ日記、拝見しました。

お子さんのお気持ちを思いやるシドさんの親心は分かります。一人のお子さんを
育てて行くということの責任が、ペットや庭木を育てるということとは違うと
おっしゃりたいお気持ちも。
しかし、あまりに狭量なご意見だと思いました。

私も、犬や猫にあえて「里親」と言う言葉を使います。でも、それは、決して
養育家庭で暮らす子供達、そして里親の皆さんを侮蔑するものではありません。
むしろ、里親の皆さんの、子供達に対する真摯な愛情と、責任ある姿を
尊敬すればこそです。養育家庭制度に携わる皆さんが、里子さんを育てて行く
ように、犬たちや猫たちも「家族」としての愛情を持って慈しんで欲しい、
人間のエゴに振り回され、行き場の無くなってしまった動物達にも、
そのくらい真摯な気持ちで臨んで欲しい、そういう思いを託して、あえて
「里親」という言葉を使うのです。
「里親」と言う言葉は、それだけの責任の重さと愛情のこもった、大切な
言葉だと思うからです。

犬や猫も、人間も、同じ命です。命に貴賎はありません。
でも、それが分かっている人間がどれだけいることでしょう。
ひとつの命を、「飽きたから」「面倒くさくなったから」「成長して
可愛くなくなったから」そんな理由にもならない理由で、遊び飽きた
おもちゃ同然に放り出し、振り返りもしない人間はたくさんいます。
そんな不遜な人間のエゴに振り回されて、毎日、数多くの命が無駄に
失われて行っている実態はご存知かと思います。

「所詮ペット」「人間に対する言葉を動物に使うなどけしからん」と
決めつける時点で、命の軽視は始まっていると思います。
人間も他の動物達も、同じ重さの命であることを、動物は物ではないことを、
どうぞご理解頂きたいです。
「犬猫ごときと一緒にするなんて」と憤り、その言葉の一掃を望むより先に、
「犬や猫もあなたと同じ大切な命なんだ」と、お子さんに教えてあげて
欲しいです。そして里親という言葉を使う者のその言葉にこめる真摯な思いを、
お子さんに話してあげて下さい。実際に養育家庭で、里親さん達の心からの
愛情を味わったお子さんには、必ず伝わると思うのです。

言葉は、言葉そのものが一人歩きするのではなく、使う者の思いがあって
初めて意味を持つものです。同じ言葉でも、使う者の気持ち次第で、
色々な意味を持ちます。侮蔑になるときもあれば、賞賛になることもあるんです。
言葉自体が尊厳を持つのではなく、気持ちが篭って初めて尊厳を持つのでは
ないかと私は思いました。
闇雲に言葉だけを切り離し、その一掃を叫んだところで、それは愚かな
言葉狩りに過ぎないと思います。

[314へのレス] 人間と動物は、同じ重さの命なのですか? 投稿者:シド 投稿日:99/11/21(Sun) 07:47:22

はなさん、こんにちは。HPにおいで下さってありがとうございます。

さて、いくつか、ご質問したいのですが
1.動物や昆虫、公共構造物まで「里親」という言葉が使われますが、どこで線引きされるのですか? まさか、すべて認めろと?
2.人間は、牛や豚など他の命を食べて生きています。命に貴賤はないと言われましたが、牛や豚と、犬猫の命の差については、どのようにお考えですか?
3.あえて「里親」を使われるとのことですが、単なる「親」ではダメですか?
4.人間の子と動物の子が溺れていて、片方しか助けられないとしたら、どちらを助けますか? まさか、動物を?
5.ペットの飼い主を「里親」と呼ぶ風潮に、里親家庭にいる子どもたちは、大変傷ついています。その子どもたちの心の傷については、どのようにお考えですか? 命に貴賤はないから、我慢しろと?

 以上、お考えを聞かせていただければ嬉しいです。

[314へのレス] Re: 里親という言葉について。 投稿者:まにまに 投稿日:99/11/21(Sun) 10:14:22

“はな”さん、こんにちは。
このHPの居候で“まにまに”と申します。
いろんな方のいろんな観点からのご意見を聞かせていただけることは大歓迎です。有難うございます。
“まにまに”としては、ことばは言われた人の身になって使って欲しいと願うものであります。


>決して養育家庭で暮らす子供達、そして里親の皆さんを侮蔑するものではありません。

●この制度の中の子ども達を暖かな目で見ていてくださることにたいへん感謝申し上げます。
すでに死語となった「BIKKO. ETA. HININ. BAKACHON.」などの差別用語、不快用語、不適切用語がそのた数多あります。話しかけるほうとしては、特に相手に対して差別や侮辱の意味を持たないで発したとしても言われている人の心は傷がつくものです。発語する人のスタンスではなく受信する人のスタンスに立ってお考え頂ければ幸甚に存知ます。

●私たちは、「生命の尊厳」に併せて「犬猫一緒くたの里親・里子」と言われてもそれに負けないように子どもたちを育てております。それと同時に社会に対しても「心を痛めている子ども達がいる」ことを知ってもらいご配慮を頂けるようお願いしているのです。

ペットに対する社会の意識は、“はな”さんがお書きになっていらっしゃる部分から推察するに、
・ 家族としての愛情を持って慈しんでもらえない現状がある。
・ 人間のエゴによって行き場かなくなってしまう動物たちがいる。
・ 命に貴賎はなく同じ命あるということを分かっている人の数は疑問だ.
・ 「飽きたから・面倒くさくなったから・成長して可愛くなくなったから」そんな理由にもならない理由で、放り出し、振り返りもしない人間がたくさんいる。
・人間のエゴに振り回されて、毎日、数多くの命が無駄に失われている。

これを読むと、やはりうちの子どもとペット類とを同じことばでくくられるのは不愉快であります。


>言葉は、言葉そのものが一人歩きするのではなく、使う者の思いがあって
初めて意味を持つものです。

●チョット待ってください。ことばは相手に意志が伝わって初めて意味を持つものではないでしょうか。


●ところで“まにまに”もかつてペットを飼ったことがあります。犬、猫、鶏、小鳥、小魚、蛇、蟻、蛙。変なのが出てくると性格が疑われてしまいますかねー。
家内は台所にゴキブリを飼育しているのではないかとさえ思っていますが。それは冗談として、食料の少なかった時代にペットと食を分かち合ったり、一緒に遊びながら、子ども心の悲しみや喜びを共にし、慰めあい励ましあった懐かしい思い出がたくさんあります。
飽食の時代、一見豊かな時代と言われる社会の中で、ペット類に対する不当なしうちには“まにまに”も心を痛めています。
里親制度の中の子ども達の問題とは別に、これらの問題に対しても考えていきたいと思っています。
今後におきましても、何か情報がありましたら教えてくださるようお願い申し上げます。

[314へのレス] Re: 里親という言葉について。 投稿者:はな 投稿日:99/11/21(Sun) 18:29:12

☆シドさん
1.線引きする必要があるとは思っていません。言葉なんて、誰かが認める認めないと言う問題だとは思いませんので。
2.私にとっては同じ重さの命であることに代わりはありません。食物連鎖の頂点に立っているか、立っていないかが、命の貴賎を決めるものだとは思いませんので。(苦笑)菜食主義者にしか「命の重さが同じ」と言う資格がないとお考えなのでしょうか??私にはご質問の趣旨が理解しかねます。
3.私自身の理解のなかでは、里親という言葉に「預かって養育する者」と言う意味が込められていると認識しておりますので、「里親」と言う言葉を使ってます。本来、責任を負うべき者が事情で育てられなくなったひとつの命を、他の人に託して育ててもらう、そういう意味だと思っておりますから。私は法律に携わる者ですが、日常の用語としての意味と、法律上の定義が異なる意味を持つ言葉は無数にあります。法律が定義した途端に、本来の言葉の意味が、そしてその用法がいきなり限られてしまうとしたら、それは寂しいことだと思いますが。
4.人間の子を助けますよ(苦笑)同じ人間として、社会的・道義的、そして法律的な責任を負ってますもの。でも、それと命の尊さとは別問題ではないですか?このようなご質問をされることの意味も、私には到底理解しかねます。
5.傷つく理由がない、と言うことを教えてあげて欲しい、そう望むだけです。結局のところ、「動物如きと一緒にするなんて」と怒り傷つくのだとしたら、それ自体、人間を一段高みに置いた不遜なことだと思いますから。でも、傷ついた子供達に「あなたも犬猫と同じだから我慢しろ」と説けばいいと思ってるわけじゃないですよ。「あなたたちをお父さんとお母さんが大切に思ってるのと同じくらい、可哀想な動物たちを大切にしてもらいたい、そういう願いを込めてこの言葉を借りることがあるんだよ」そんな風に、説明してあげることって不可能なことなんでしょうか?

☆まにまにさん
まず・・・「里親」と言う言葉と、例としてあげてらっしゃるこれらの差別用語が同次元とお考えですか?
私としては、本来の語源に差別的・侮蔑的意味が込められていたこれらの言葉を無意識に使ってしまうことの恐ろしさと、この「里親」の件とは、全く別の問題と認識しております。里親という言葉のなかに、愛情や責任と言った暖かく真摯な響きを感じる私としては、この言葉を、これらの差別用語と同じに扱うことに抵抗を覚えます。

●チョット待ってください。ことばは相手に意志が伝わって初めて意味を持つものではないでしょうか。

そうですね、私、ちょっと先の書き込みでは言葉足らずでした(苦笑)
発信する者がいて、受信する者がいる。そのやり取りのなかで、言葉は意味を持つ、そう言う風に訂正させてください。
発信側が受信する側の気持ちを思いやること、確かにそれは非常に大切だと思います。ただ、あたかも腫れ物に触るような扱いが思いやりではないだろうと思うのです。勿論、「だから傷つけてよい」と言いたいわけではないですよ。
シドさんのドンキホーテ日記を読ませていただいた際、私には、この運動をされていらっしゃる方々が、文脈から切り離された1つの単語、それだけにこだわっていらっしゃるように見えました。それが「言葉狩りではないか」と感じられた理由です。1つの単語について、それもその単語自体に侮蔑的な歴史・背景がない、ある種ニュートラルな単語について、全く文脈から離れたところで、その是非や、その言葉に対する受信者の気持ちを問うことに意義を感じない、そう申し上げたかったのです。文脈から切り離されてしまえば、1つ1つの単語は、コミュニケーションの手段としての意味を失ってしまいますもの。そうなってしまったら、もはやそれは思いやりではなくて、過剰反応でしかないし、日本語の豊かさを失わせて行く一端でしかないと思うのです。
単語1つに目を光らせ、その一掃を望むよりも、むしろ、単語のみを取り上げて傷つく子供がいるのなら、そういう子達には、その言葉の発信者が本来伝えたかった意思を、でも子供の幼い心には染み込まなかったその気持ちを教えていきたい、そういう形で対処していければいいなあと私は思ってます。

動物の愛護活動に参加している人間は、皆、現在の社会で余りに軽視されている命を、皆さんのように養育家庭制度に携わってらっしゃる方が子供達を慈しむのと同じように、大切にしてあげて欲しい、幸せにしてあげて欲しい、その一心でこの言葉を使ってます。社会で軽視されてるなら尚更、うちの子と同じに扱うなっておっしゃられるのは、非常に悲しいです。社会で軽視されてるからこそ、あえてこの暖かい言葉を借りて、命の大切さを伝えることに意義があるのですから。

[314へのレス] Re: 里親という言葉について。 投稿者: 投稿日:99/11/21(Sun) 22:07:59

はなさん、はじめまして。
養親の立場のものです。我が家にも愛犬ゴンザがおりまして、犬も家族の一員
として暮らしております。
私達夫婦には子供もおりませんでしたので、養子として子供を迎えるまでは
ゴンザが子供そのものでした。
はなさんのおっしゃる事も理解できますが、でも、やはりそもそもこの里親という言葉は、何のために作られたのかと言えば、人間の里親里子の為では
ないのかしらと思います。
先日、里親の読み物で、里親側から国に里親、里子の名称の検討を申し出ている事を知りました。
最初はですね・・・私的には「んま・・随分暇な事を考えているのね。呼び名に拘るよりも中身でしょ・・・な・か・み」と思ったのですが、でも落ち着いて考えれば、里親、里子の使われかたはやはり人間に使われた方が、正確な
使われかたではと思い始めました。
シドさんや私がホームページを開いた去年の今頃はですね、酷いものでしたよ
動物は勿論今のように沢山ありましたが、Gショックやたまごっちの里親
と言うものがありました。
私は、動物の里親という点で使われるのならば、それならそれで仕方がないとも思います。
けれども、ここへ来てそれを非難されるのはどうでしょうか?
里親が、いちいち動物里親のホームページへ言って、その言葉はね・・・・
と言うこととそう変わりは無いと思いますよ。
まあ、そのうち厚生省さんがなんか言うかしらね。
この言葉について・・・・。
まあ、言わないかもしれないけれど。

[314へのレス] 横レスですみません 投稿者:けい 投稿日:99/11/21(Sun) 22:45:00

私はアメショー2匹の飼い主で、言葉を扱う仕事で、里親とは部外者です。
私の正直な意見は、基本的に、筒井康隆の断筆宣言の時は、「言葉狩り」だと思いました。
シドさんの「ドンキホーテ日記」にも、申し訳ないですが、そうだ、そうだというほどの共感は
抱けません。
けれども、はなさんの主張も、ひとつひとつのディーテイルは頷けるのですが、根本的な
スタンスがいまいち理解できません。このHPにとって「ドンキホーテ日記」は多分、枝葉だと
思います。ここのメンバーさん達が戦っている対象は、世間の無理解、偏見、施設の子供
の救済、あるいは養子・里子と養親・里親の苦しみ、悲しみ、不安なのだと思います。
はなさんが、動物愛護運動のPRをするのにふさわしい場所とは思えません。
ある意味で、動物愛護運動よりもっと孤立無援、孤独に、切実に世間の無理解、烈しい偏見と戦っている人達の場所なのだと思います。
また表現の自由、言葉の文化的意義と社会的意義について論じる場所としても、ちょっと
見当違いのように感じます。もう少し全体を読んでから、発言をまとめられた方が良いように
感じました。施設出身者による兄弟HPのようなHPが、ここからリンクされています。
それも含めて、ここの人達が何に怒り、悲しみ、どう対処しようとしているかを把握してみて
ください。
もっと切実な現実に直面している方達の集まりだという事が、すぐお分かりいただけると思い
ますよ。

[314へのレス] Re: 里親という言葉について。 投稿者:モナリサ 投稿日:99/11/22(Mon) 00:38:06

はなさん!いらっしゃいませ。
里親に関してのご意見ありがとうございます。
大変に参考になりました。
 
 私は今年、還暦を迎えた里親です。実子を二人育て孫もおります。
シドさんのHPでは、早くから店子として出入りしておりますが、私も
ドンキホーテ日記を読みました時は正直「使いたい人がいるなら使わせれば
良い。宣伝にもなるし・・こんなしんどい事をよくやるな〜」位の認識でした。 ところが、はなさんと同様の意見を以前にも投稿された方がおり
まして、改めて「里親」という言葉を人間以外に使われる事への里親
里子達の反応に関心を持ちました。
 私は「里親会」に所属しておりますが、そこでは多方面に使用される事に
反対と言うよりも、すでに名称を変更しようという動きが出ていました。
原因は、まず子ども達が「里子」と呼ばれる事に一番、抵抗感を持っています。したがって里親に対しても違和感はあるのでしょう。
 里親の中にも、私の様にこのままでも良いと言う者と養子縁組を済ませた
人の中で、里親会の名称で郵便物が届く事に抵抗感を持たれる方もいます。
 また、某地域の里親会から「鈴虫の里親募集」に抗議を申し込むと
協力を求められた事があります。
言い分は「鈴虫と人間の子どもと一緒にされてはたまらん!!」でした。
たまたま、家で鈴虫を飼っていましたから「なるほど子どもは飼っている
とは言わないね〜」とえらく納得して賛同しました。
それ以来「里親」使用に関してはシドさん同様に人間に限って使って欲しい
というスタンスに立つ事になりました。
 つまり、私は20数年余、里親、里子さん達と関わりを持ってきたわけ
ですから、その関係者の大半が嫌がる事はしないというごく単純明快な
結論に達しています。また容易に結論が出た理由はもう1つあります。
子どもを慈しみ育ててきましたが「実子も里子も自立するまで援助する事が
親の役目で、いつまでも自分の側に置いてペットにするつもりはなかった」
ということです。したがって私は人間と動物では「愛し方がちがう」と
認識していますから、子供達(当然里子)もその様に教育してきました。
 里子の一人が13才で他界した時、引取る親もいないという事で3番目の
子どもとして当家の墓地に入ることになりました。
 今日、夫に「鈴虫どうする?お墓にいれる?」と尋ねたら「ばかばかし!!」と一笑されましたが、娘に言わせると「動物愛護の方達ならそこ
までやるかもよ・・・」でした。

はなさん、私の言い分は、法律を勉強されているあなたにとっては筋違いも
はなはだしいことでしょう。
 しかし、うちの子と動物と同じに扱うことこそ里親の鏡というならば・・・
わたしの鏡は曇りっぱなしだったということになります。
自己弁護するわけではありませんが「あえてこの暖かい言葉を借りて、命の
大切さを伝えることに意義がある」とおしゃるのでしたら、動物愛護に
相応しい借り物ではない暖かい言葉を考えられる事も、意義ある使命と
思いますが…・いかがでしょうか?

http://www.avis.ne.jp/~hynet/


[314へのレス] Re: 里親という言葉について。 投稿者:はな 投稿日:99/11/22(Mon) 02:41:36


☆泉さん
>けれども、ここへ来てそれを非難されるのはどうでしょうか?
>里親が、いちいち動物里親のホームページへ言って、その言葉はね・・・・
>と言うこととそう変わりは無いと思いますよ。

こちらのHPに足を運んだきっかけは、実際に里親をされてらっしゃる方が、
私の関係している「動物里親」募集のHPにいらして、「その言葉はね・・・」と
おっしゃった上で、こちらのHPをご紹介下さったからです(苦笑)
私自身、「その言葉は・・・」という里親の方のご意見を「非難」とは
受け止めませんでしたし、私も「非難」してるつもりはありません。
(文章が下手糞なもので「非難」と読めたとしたら申し訳ありませんが)
ただ、こういう風に考えて、決して侮蔑や偏見でなくこの「里親」と言う言葉を
人間以外に使用する私のような人間もいるのだということをご存知かしら?と
思いましたので、こちらに書き込みをさせて頂いた次第です。
こちらの掲示板も含めて、ホームページに設置された掲示板と言うものは
そのホームページの内容・趣旨等について、意見の交換をする場所かと
思っておりましたが・・・。批判的な意見は書き込むなとのご趣旨でしょうか?

☆けいさん
>このHPにとって「ドンキホーテ日記」は多分、枝葉だと思います。

こちらの掲示板に最初の書き込みをさせて頂く前に、当然のことながら、
シドさんのHP全体を読ませて頂きましたし、リンクもいろいろと飛びました。
こちらのHPに足を運んだきっかけ自体は、先に書いた通り、一人の里親さん
からのメールだったわけですが、私自身が、数年先に養子を迎えることを
現在、夫と検討中で、私なりに情報を集め始めていたこともあって、
(今現在は、私が海外在住など、環境が整っていないこともあり、
まだ漠然とした望みでしかないのですが)非常に勉強になりました。
(シドさんどうもありがとうございます。)子供達のためにご尽力されている
皆さんには本当に頭の下がる思いでもおりますし、共感も賛同も致しました。
従って、おっしゃる通り、この言葉をめぐる運動は、
シドさん他の皆さんがされている有意義かつ困難な戦いの全体から見れば、
ほんの一部に過ぎないとも理解しております。

ただ、枝葉であれ、活動の一端として、仮にもHPで広く公開して行っている
運動であれば、掲示板その他で、この「里親」という言葉に関することに
ついても忌憚なく意見の交換がなされることもあってよいのではないですか?
私としては、そう思ったからこそ書き込んだまでですが、無論、
この掲示板の開設者である、シドさんが、ここはそういう場ではないと
おっしゃるのなら、私の意見は削除して頂いて結構です。

私の趣旨も通じなかったようですが(うまくまとめられなくて申し訳ないですが)
動物愛護運動のPRをするつもりなどありません。あくまで、シドさんがHPに
書かれていらっしゃる、この「里親」の言葉についての運動に関して、これを
「言葉狩り」と私が感じたその理由を、意見として述べさせて頂いた、その中に
たまたま動物愛護の問題が関わっていた、それだけのことです。
それでもお門違いでしたでしょうか・・・?
そうだと致しましたら、場をわきまえずにこのような発言をしたことを
シドさん他、この発言を読まれた方に心よりお詫び致します。

☆モナリサさん

ご意見、興味深く拝聴させて頂きました。
シドさんのドンキホーテ日記では、正直申し上げて「犬猫ごとき」と言った、
動物の命を軽視しているような表現ばかりが目に付いて、いかに親心と
言えど、残念でならなかった私でしたが、「愛し方が違う」といったご意見で
少し、この活動の本当の趣旨が理解できたように思いました。
私の中では、この言葉だけ切りとって、その用法にこだわること、それが
子供達の心の傷に対する思いやりなのかな、「言葉狩り」であることに
代わりはないのではないか、という疑問は未だに残っていますが、
もう一度私なりに考えてみたいと思いました。

もうこちらの掲示板に書き込みをさせて頂くのは、これで最後に致しますが、
今後も、このHPのご発展と、皆様のご活躍を期待しております。

[314へのレス] Re: 里親という言葉について。 投稿者:けい 投稿日:99/11/22(Mon) 04:07:10

はなさん、こんばんは。仕事柄フクロウ生活で、すぐレスできます。

>私自身が、数年先に養子を迎えることを現在、夫と検討中
  とても明快でロジカルな考察を展開されたのに、この一行を最初にチョロっとでも書いて
  欲しかった(笑)。てっきり里親・里子自体にはあまり関心のない、動物愛護いっぽんやり
  の方かと思い込んでしまいました。ごめんなさい。

>仮にもHPで広く公開して行っている運動であれば、掲示板その他で、この「里親」という
  言葉に関することについても忌憚なく意見の交換がなされることもあってよいのではない
ですか?
  もちろんおっしゃる通りです。私もそう思います。それで感じた事を書かせて戴きました。
  もともと仕事の合間に覗きに来る部外者で、こんな風に発言するのは今回が始めてです
  が。「里親」という言葉の使い方について、もっと議論したいというご意向であれば、それを
  それを非難されるような方はおられないと思います。余計なことでしょうが、どんどんやって
  下さい。

> もうこちらの掲示板に書き込みをさせて頂くのは、これで最後に致します
「そんなことを言わずに、常連になって下さい。それでなくても、里親・養親は世間の少数
  派です。お仲間大歓迎!!」というレスがきっとあると思います。(笑)

真面目な話し、はなさんは、私よりもずっとこのサイトが歓迎する方だと思います。
筋道だった文章が、私のとても親しいある養母さんとそっくりです。

[314へのレス] 全国里親会、北海道里親会などの抗議 投稿者:シド 投稿日:99/11/22(Mon) 08:17:41

はなさん、こんにちは。
ちょっと、お詫びと、お願いがあります。

 STOP!犬猫「里親」 のコーナーの記事が古いものになっていました。
最新版に更新しましたので、よろしければ、もう一度読んでいただけるでしょうか?
 全国里親会、北海道里親会の抗議についても載せています。
動物の「里親」と表現しなければ、動物愛護が出来ないとは、とても思えません。
HPでは、「里親」募集と称して、多くのペットの売り買いが行われています。これについては、どうお考えになりますか?

それと、一点だけ。
 児童福祉法第27条3に、里親とは「保護者のない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認められる児童を養育することを希望する者であって、都道府県知事が、適当と認める者をいう。」とあります。

私は、法律に則った、正しい使い方をして欲しいとお願いしているだけです。それを「言葉狩り」と表現なさるのは、いかがなものでしょうか?
私の抗議先は、公的機関だけです。個人HPや個人について、抗議はしておりません。公的機関まで、ペットの「里親」と表現することは、公共の福祉に反することだと考えています。

[314へのレス] Re: 里親という言葉について。 投稿者:たろ 投稿日:99/11/22(Mon) 20:46:29

>「飽きたから」「面倒くさくなったから」「成長して可愛くなくなったから」
>そんな理由にもならない理由で、遊び飽きたおもちゃ同然に放り出し、

 その理由と人間が里子になる理由とは同じなのでしょうか
 違うと考えたら 言葉も同じではいけないのではないかと私は思います

>同じ言葉でも、使う者の気持ち次第で、色々な意味を持ちます。

 それは 好き 嫌いのような感情を表わす言葉などだと思います
 誕生 死亡 親 子 という言葉とは違うのではないでしょうか
 だからこそ 里子 や 里親 という言葉まであるのではないでしょうか
 家庭内では 親 子でも 世間に対しては 里親 里子というような、、
 その言葉を犬や猫ちゃんのような場合も使われている方に
 私は多少なりとも抵抗があるのです
 
>侮蔑になるときもあれば、賞賛になることもあるんです。

 言葉のもつ可能性などでなく 正確な言葉の使い方じゃないんでしょうか
 間違った使われ方で傷つく者がいるのならあらためるべきじゃないでしょうか

>闇雲に言葉だけを切り離し、その一掃を叫んだところで、それは
>愚かな言葉狩りに過ぎないと思います。

 里子という事でイジメにあう ポチやタマはいるのでしょうか?

http://www.urban.ne.jp/home/pko30/X1X2X3.html


[317] くっ、、 投稿者:たろ 投稿日:99/11/22(Mon) 19:54:02

はじめまして ココをリンクしているたろといいます
ネットで犬 猫の里親募集記事を見つけ
なんとなく その方に 確認抗議?メールしたら(やんわりと書いたつもり)
抗議されてしまいました ペットだって家族なんです!的な感情的なもので
そんなものなかなぁ 周りってと思ってしまいました
そういう私もココを見るまでは そんなひとりでしたが、、

http://www.urban.ne.jp/home/pko30/X1X2X3.html


[211] 公園の里親? もう、かんべんしてくれ 投稿者:シド 投稿日:99/08/21(Sat) 10:29:22

共: 里親になり公共地域を清掃 広がる米国発祥の制度

共同通信ニュース速報

 公園や道路などの公共地域を地元市民や企業が「里親」になって清掃し、集めたごみを自治体が回収する米国発祥の制度が日本でも広まっている。公園などには受け持つ里親の名を掲示。美化意識の向上につながるほか、自治体も清掃にかかる費用を軽減できる一石二鳥の作戦だ。                       
 この制度は「アダプトプログラム」と呼ばれ、自治体や国、企業なども参加した協議会が団体や個人と協定を結ぶ。一九八五年に米テキサス州で始まり、全米各地やカナダなどに普及した。    
 日本では昨年六月、徳島県神山町で初めて導入。愛媛県久万町、福岡市、香川県善通寺市、徳島県(吉野川)と続き、大阪市、埼玉県川口市でも実施予定だ。                  
 条例化も検討している善通寺市では四月以降、市内の十六の公園と延長約五十二キロの市、県道で順次実施。老人会や女性バレーチーム、自衛隊など約百七十の団体、個人(計約千四百人)が里親になった。市長と合意書を取り交わすことで責任を明確化している。
 清掃や雑草除去は最低年六回が原則。中には毎日やる人もいる。公園に立つ団体、個人名入りの看板が励みになるという。必要な道具は市が支給、作業中の事故に備え保険に入るのも、このプログラムの特徴だ。
 「清掃を業者に発注すれば年間何十億円とかかる。観光客からは空き缶や吸い殻がないですねとほめられるし、市民の間にも街を汚さないという意識が広がっている」(同市の山下博主管)    
 プログラムを推進する食品容器環境美化協会(東京)が六月に実施した全国アンケートによると、六十九市町村が「採用を検討した
い」と回答した。田村汎参与は「散乱ごみの絶えない大都市で効果が大きい。今後、事例研究会も開いて定着を図りたい」と話している。 
[1999-08-20-08:53]

[184] STOP!犬猫「里親」について 投稿者:きゃん 投稿日:99/07/29(Thu) 18:10:34

はじめまして。
私の家では、6年間前から犬を飼っています。
子供がいないせいか、そりゃもうかわいいです。
でも、犬猫雑誌の「里親募集」という言葉には違和感を
感じていました。
こちらのHPで読むまでは忘れていましたが・・・
里親とは関係ないですが、「えさ」を「お食事」、「糞」
を「うんち」と言い換えたり・・・
ペット業界が、お客(飼い主)に媚びを売ってるのでは
ないでしょうか?
いいことか、悪いことか?私には判断できませんが、掲示
板にペットを使う事とは関係ないのではないでしょうか?

[184へのレス] 別の問題ですよ 投稿者:シド 投稿日:99/07/29(Thu) 20:30:52

 動物を擬人化することは、別に悪いことでないと思っています。
私は、動物は大好きですし、ウチの子たちも、15歳の老猫と上の子、下の子で、だんご3兄弟と言って、喜んでいます。個人的に、言うことまで、どうこう言っているつもりはありません。

 ただ、公的機関が、堂々と犬猫「里親」やメダカの「里親」と表現するのは、いかがなものでしょうか?
 クレームをつけているのは、公的機関だけにですか・・・。

 また、私だけではありません、各地の里親会も、使わないよう要望しています。
http://lib1.nippon-foundation.or.jp/1997/0335/contents/010.htm
このHPでは、
<里親」という言葉の使い方についてNHK考査室へ要望
 かねてより問題とされ、本年8月の理事会でも取りあげられました「里親」という言葉の使い方に関して、10月21日渥美会長と海老沢常務理事がNHK考査室に出向き、里親制度について説明し、その正しい使い方について十分御配慮いただきたい旨要望した。>

とあります。
また、
http://village.infoweb.or.jp/~fwge4836/jfmemo01.htm
でも、北海道里親会が要望を出しています。

http://member.nifty.ne.jp/foster-parent/


[184へのレス] Re: STOP!犬猫「里親」について 投稿者:JIJI 投稿日:99/07/29(Thu) 21:19:17

北海道の里親会の要望の新聞記事を送ります。
シドさん。皆さんが見えるように新聞切り抜きのページにでも
貼ってください。
JIJIも半年間ぐらい、動物愛護団体に対して手紙を出していたことが有りました。

[184へのレス] ペット飼い主探し「里親」名称やめます 「不適切」の指定に札幌市が決定 投稿者:シド 投稿日:99/08/02(Mon) 12:26:48

jijiさん、遅くなりましたが、画像をアップしました。
わざわざ、FAXでお送りいただき、ありがとうございました。
他にも、送っていただいた資料で、アップしていないものがあります。おいおいアップしますので、ご容赦願います。(;^_^A アセアセ・・・

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97/05/16  北海道新聞
ペット飼い主探し「里親」名称やめます 「不適切」の指摘に札幌市が決定
http://foster.system.to/news/19970516hokkaido.gif

 札幌市里親会と北海道里親会連合会が、札幌市や北海道新聞社などに、ペットの「里親」表現を避けるよう申し入れをした。「動物の飼育と幸薄い子どもの養育が同じ言葉でくくられ、里親と里子に心理的負担を与えている。」

94年、96年に続き、三度目の抗議をした北海道里親会連合会「ようやく腰を上げたという感じ、見直すなら前進」
札幌市里親会「報道側も使わないよう配慮して欲しい」
動物を守る会「気持ちはわかるが、人間の側に、たかが犬猫だからとの意識があるとすれば、それもおかしな話」
緑の里親クラブ「里親という言葉を使わねばならない必要はなく、みんなで考えてみたい」

[114] 見ました.新聞社別「里親」誤使用率調査 投稿者:jiji 投稿日:99/05/28(Fri) 21:15:06

わざわざ大容量との説明が有りましたが、プリンターの用紙が途中で
無くなるほどとは思っていませんでした。
知人の名前が五人もでてきました。
また、話にだけは聞いていた記事のタイトルもありました。
大変に参考になりました。大作ですね。見事なお仕事です。
打ち出して回覧して何人かの反響を見たいと思います。
(いいのかな?いいんだよね.出典を明らかにすれば!)
反響があったらお報せ致します.
end

[114へのレス] 反響を楽しみにしています 投稿者:シド 投稿日:99/05/28(Fri) 23:35:35

jijiさん、こんにちは。レスありがとうございます。

>また、話にだけは聞いていた記事のタイトルもありました。

 あの記事ですね。そのうち縮小版で調べます。いいことも悪いことも、全て出さないと調査に信用性が無くなりますので・・・。
 反響を楽しみにしています。

[109] ペットの里親用語使用に抗議 投稿者:jiji 投稿日:99/05/25(Tue) 09:07:27

近畿地区の九つの里親会(大阪府京都府滋賀県奈良県兵庫県和歌山県大阪市京都市神戸市)が報道機関に対して「里親」の名称を人間以外に使用しないでほしいとの要望をだしている。
要旨は、犬・猫に里親の用語が使用されるのであれば、人間の「里子」の立場は犬猫の里子と同列に印象付けられかねない、とするものである。
ご活躍を期待する。
マスコミ報道はともかくとして、実際に「里親」の名称を借用している動植物などの愛護団体に理解を求めなければならない問題であるが、現実には数多の小グループが存在し、中学生数名によるボランティア団体から県レベルのものまでその数は掌握しきれるものではない。
里親名称借用抗議の活動の今後の運動範囲に限界を感じえない。
本邦には源氏名という風習ある。著述業者はペンネームを持っている。
家電業界と特定部門の商品にサブネームをつけるようになってきた。
野球選手の登録も変わったのが出てきている。
日本船舶振興会は日本財団というサブネームを使用している。
児童の権利条約は子どもの権利条約との通称を認めている。
児童福祉法第二十七条に「里親」として記述されている用語であるが、市民団体である各都県市の里親会においては、七つの自治体レベルにおいて別称を呼称している。
また、その傘下の支部会や地区会などにおいてはかなりの数が独自の名称を呼称をしている。
今後の運動の方向性を示唆するものと受け止めている。
アホウ・ジョチュウ・オンボウ等の言葉が、その原義とは異なった意味に使用されていくさまざまな過程の中で、別の言葉が産まれてきた。
最近においても「精神薄弱・精白」が「知的障害」と法の改正があった。
里親名称借用抗議運動が社会の変化に抗し切れるものであれば、頑張っていただきたい。
いずれにしても、大人の名聞冥利に捉われることなく、子どもを中心に据えた論議の方向を模索していきたい。  end

[109へのレス] Re: ペットの里親用語使用に抗議 投稿者:シド 投稿日:99/05/27(Thu) 00:02:53

jijiさん、こんにちは。応援ありがとうございます。

 新聞の誤使用を調査しましたが、かなりの割合で使われていることがわかりました。対策はこれからですね。
 登録した里親に子どもを委託している都道府県が、犬猫「里親」を使用しているとしたら、里親に対して失礼な話ですね。地方自治体に対して、何が出来るかを考えたいと思います。蟷螂の斧かもしれませんが、おかしいものはおかしいと言い続けたいと思います。

[108] 読売新聞の「里親」の誤使用頻度 投稿者:シド 投稿日:99/05/23(Sun) 07:29:05

家庭養護促進協会の掲示板とダブルポストで申し訳ありませんが、読売新聞データベースで96/07/01から99/05/19まで、本文に「里親」を含む記事を検索をかけてみました。

タイトルのみの表示で1件5円取られます。

さて、結果ですが、
全体で125件ありました。 #625円取られた(;_;)
そのうち、正しく使われているのが18件(14.4%)です。
山村留学や海外教育援助など人間に使われているものが42件(33.6%)です。
ペットの「里親」は27件(21.6%)、かぶとむし、メダカ、樹木などが27件(21.6%)、合わせると43.2%です。
タイトルからは判別できないのが11件(8.8%)でした。芝居とか映画の案内が多いようですが、記事の表示は50円取られるのでやめました。

本来の里親に使われているのは14.4%で、
人間以外に使われているのは43.2%で、
不明分も該当するとなると、52.0%になります。
朝日新聞よりいいですね。たいして違いませんが・・・。

ちなみに、毎日新聞は検索かけると416件もありました。
分析はこれからですが、さすがに家庭養護促進協会の記事が多いようです。そのうち、タイトルの一覧を掲示する予定です。

[91] 朝日新聞の「里親」の誤使用頻度 投稿者:シド 投稿日:99/05/02(Sun) 00:22:25

家庭養護促進協会の掲示板とダブルポストで申し訳ないのですが・・・。

96/05/20から99/04/15まで、朝日新聞のデーベースで「里親」をキーワードに検索をかけてみました。本文中に「里親」が含まれているものがリストアップされました。
1分間280円なので、とりあえずタイトルだけにしました。
これ以前も検索したのですが、ログが消えてしまい、お金ももったいないのでやめました。

さて、結果ですが、

全体で312件ありました。
そのうち、正しく使われているのが20件(6%)です。
山村留学や海外教育援助など人間に使われているものが97件(31%)です。
ペットの「里親」は98件(31%)、白鳥、たまごっち、樹木などが47件(15%)、合わせると46%です。
タイトルからは判らないのが50件(16%)でした。
これは、地方版が多いので、たぶん犬猫の「里親」募集などのイベント案内でしょう。

 本来の里親に使われているのは6%で、人間以外に使われているのは46%で、不明分も該当するとなると、なんと63%になります。

 なんとかして欲しいものです。「里親」を「養育家庭」と言い換える動きもあるようですが、本来的には、犬猫の「里親」という表現をやめさせることが必要なことだと思います。

[91へのレス] 飼育ボランティア(5/7朝日朝刊) 投稿者:シド 投稿日:99/05/07(Fri) 12:34:02

5/7の朝日朝刊の社会面で「困ったアライグマ 都市で野生化」の記事がありました。
(ホームアイコンをクリックして下さい。187KB)

 野生化し、捕獲されたアライグマの飼い主をインターネットで募集しています。
 今までのパターンだと、アライグマの「里親」募集と表現されやすいケースですが、今回は「飼育ボランティア」募集となっていました。この「飼育ボランティア」なる言葉は初耳ですが、このほうがずっと分かり易いし、人間の里親の心を逆なでしないと思います。
 たまたま今回だけなのか、祈りが通じて変えたのか、今後を見守っていきたいと思います。
検索エンジンで「飼育ボランティア」をキーに検索かけたところ、1265件ヒットしました。決して、珍しい表現ではないようです。
 うむ、希望が湧いてきたぞ (^O^)

http://member.nifty.ne.jp/foster-parent/news/990507asahi.jpg